ステイホーム

新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が延長されそうです。「ステイホーム」という言葉が浸透し、今年の流行語大賞にノミネートされるかもしれません。

 

私自身、家でじっとしていることはそれほど苦にはならないほうだと思っていたのですが、「外出を控えてください」と要請されることは生まれて初めての経験だったため、今回の事態を受けて新たな気づきがありました。

 

例えば家の中で読書を楽しんだあと、少し息抜きで外に出て散歩をしたり、コーヒーショップでコーヒーを飲んだりすることは気晴らし程度と思っていました。でも、これを自粛しようとすると、こうしたちょっとした行動がいかに有難いことだったかということに気づかされます。

 

特に電車に乗り、降りたことのない駅で降りて街並みを散策する。少し疲れたらコーヒーショップを見つけてコーヒーを飲んで本を読んだり、初めて入るお店で食事をしたりする。この程度のことは、他人に「趣味」と言うほどのものではないと思っていたのですが、このような行動パターンが自分自身にとって大切な「趣味」であったことを思い知らされました。

 

いつまでも「ステイホーム」の状態を続けるわけにはいかないでしょうから、もうしばらく辛抱して、普段の生活の有難みに感謝したいと思います。

DNAにまで沁み込む志村けんさん

誰かがコメントしていましたが、志村けんさんは私たちのDNAレベルにまで沁み込んでいるようです。

 

悲しい知らせを聞いてニ週間が経っても、未だ悲しみは癒えそうにありません。ただ、悲しみが完全に消えることはなくても、前を向いて歩いていくしかありません。今は自分自身を守り、感染拡大しないように十分に留意していく必要があります。自宅にいる時間が長くなっていますが、自宅で気分転換をするために志村けんさんの動画を頻繁に見ています。

 

改めて、偉大なコメディアンだったなあと思います。志村けんさんは「その人が登場するだけで、思わずクスッと笑ってしまうような状態が理想的な喜劇役者」とおっしゃっていたそうですが、まさに本人がそれを体現されていました。

 

平成から令和の時代へ移り変わったように、自分自身の時代も何か一つ移り変わったような気がします。今は大変な時期ですが、これを乗り越えて新たな時代を迎えていきたいと思います。

東京2020開会式でバカ殿を!

もし来年、東京2020を無事開催することができたなら、開会式はどうするのでしょうか?

 

この状況で、開会式に志村けんさんを出さないのはあり得ないと思います。志村けんさんの出ない開会式は、他の誰が出ても物足りなく感じます。

 

新型コロナウィルスを乗り越えてオリンピックが開催されたら、志村けんさんのお別れ会はオリンピックの開会式で行うべきではないか。世界中の人と一緒にバカ殿を、変なおじさんを、ヒゲダンスを、その他いろいろなキャラクターを楽しむことこそが、日本中が待ち望む祭りではないでしょうか。

 

みんなでバカ殿になって、開会式を楽しむ日を迎えたいものです。

 

志村けんさん

偉大な人が亡くなりました。

 

僕たちが小学生だったとき、土曜の夜8時台を中心に一週間がまわっていると言っても過言ではありませんでした。僕たち世代の子供たちが「8時だよ、全員集合!」に寄せる期待値のハードルは最高潮に高止まりしていました。考えてみれば、期待値が高い分、ドリフの皆さんのプレッシャーは半端ないものだったと思いますが、毎週期待通りの、いや期待以上の笑いを届けてもらっていました。誰かがコメントしていたように、あのときの僕たちは明らかに幸せでした。

 

もう十年以上前になると思いますが、池袋に「志村魂」の舞台を観に行きました。志村さんと同じ時間を共有していたあの日の僕は、明らかに幸せでした。最後に志村さんが地面に頭がつくほど深々と頭を下げていた姿は今でも忘れることができません。仕事に対して真剣勝負を挑んでいる姿勢を見習わなければいけないと痛感しました。

 

もう志村さんの新しいコントを見ることができないと思うと、残念でなりません。今まで本当にありがとうございました。

新型コロナウィルス

新型コロナウィルスによるパンデミックにより、世界中が混乱に陥っています。ほんの数ヶ月前までは、マスクが買えなくなる世の中を想像することはできませんでした。ましてや、東京2020が延期か中止になることなどあり得ないことだと思っていました。

 

でも、東京2020の延期がいよいよ現実味を帯びてきました。昨年のラグビーワールドカップでは、台風による被害で中止になった試合があり、自然災害の恐ろしさを思い知らされたばかりでした。

 

先日、羽田空港から国内線の飛行機に乗ったのですが、羽田空港内のほとんどすべての店舗が閉鎖しており、人混みもかなり少なくて、営業時間外に来てしまったかのような雰囲気でした。

 

プロ野球の延期も続いていますし、至るところで自粛措置が取られていますが、どこかで活動を再開していく必要があります。東京の桜はかなり咲いていますし、山陰の桜も一つ二つ咲き始めました。

 

ウィルス対策を慎重に行いつつ、前向きな気持ちも持っていたいと思います。

f:id:horga:20200323141014j:image

 

 

ノムさん

伝説的なプロ野球選手であり、偉大な監督でありながら、多くの人から親しみを込めて「ノムさん」と呼ばれていました。私もやはり「ノムさん」と呼びたい一人です。

 

一度、ノムさんの講演を聞きに行ったことがあります。中小企業を応援する趣旨のセミナーで、ノムさんの講演は確か「常勝チームをつくるための戦略」のようなタイトルでした。ノムさんが登場して開口一番、「まあ、私は一度も常勝チームを作ったことはありませんけどね。作れるものなら、教えてほしいよ」と言って会場を沸かせていました。全く主催者泣かせでありながら、会場は大いに盛り上がっていました。

 

ノムさんが亡くなり、ノムさんを特集したテレビ番組を見ました。また、過去の動画を最近まとめて見ました。ノムさんの言動に、なぜこれほど魅了されるのか考えていたのですが、本人も仰っているように「劣等感」を最後まで忘れずに持っていたからではないでしょうか。

 

3歳のときに戦争で父親を亡くし、貧しい母子家庭で育っていく。そんな中、夢を持ち続け、「なにくそ精神」で超一流のプロ野球選手になっていく。これこそ日本人が、いや世界中の人が愛してやまないストーリーです。そして超一流選手になっていながら、「王、長嶋が私の価値を落とした張本人」と言って憚りません。普通の精神の持ち主であれば、あれだけ選手として結果を残したのであれば、何も王さんや長嶋さんと比較する必要などなく、十分満足できたのではないでしょうか。

 

プロ野球の監督になってからも、例えば最後の楽天で馘を宣告されたとき、「優勝しても馘が決まっていると言われて、やる気をなくしたよ」と言って憚りませんでした。また、最愛のサッチーが亡くなってのち、「今、男の弱さを噛みしめているよ。寂しい」と正直に話されていました。

 

超一流の選手や監督でありながら、そのことを鼻にかけることなく、むしろ最後まで劣等感を持ち続けた精神性、常に困難と向き合いながら消えることのないユーモア、その振り幅の大きさが魅力となっているのでしょう。

 

確かにノムさんの言動は、主催者側、エスタブリッシュメント側からすれば煙たいものだったかもしれません。でも、本人は「不器用だから」と仰っていますが、動じることなく何でも正直に話される人柄は、多くの人を魅了しました。

 

ノムさんは、あれだけの結果を残していながら、最後まで自らの弱さと向き合っていました。だからこそ、監督時代、「野村再生工場」を実現することができたのでしょう。人の弱さを感じ、どうすればその人がよくなるか、真剣に考え、軌道修正していきました。

 

「努力に勝る天才なし」。ノムさんが選手としてどの程度の才能があったのかは知りませんが、本人の言葉を借りれば「バッターであれば2割5分程度の実力だったのを、試行錯誤して5分かさ上げした」ということです。その経験が、人に対して「夢を持て。自分の興味あることに挑戦せよ」と仰った原点となっているのでしょう。

 

「劣等感を持つことは悪いことじゃない。それを力に変えよ」ということを、証明し続けた人生でした。多くの人は何らかの劣等感を持っていますし、自分の弱さに気づいています。だからこそ、ノムさんの言動は多くの人に響き、愛されるキャラクターとなっていったのではないかと思います。

感想戦

先日、羽生善治九段と藤井聡太七段の対局がありました。インターネットTVで放送されていたのですが、私が見始めたときに羽生九段が投了されました。

 

もう少し将棋観戦を楽しみたかったのですが、その後の感想戦が今回は非常によかった。見応えがありました。

 

負けた悔しさを腹の中に抑え、冷静に分析しようとしている羽生九段。羽生九段に勝った喜びもあったでしょうが、将棋を心から楽しんでいるのが伝わってくる藤井七段。それぞれの姿が印象的でした。

 

インタビューで藤井七段も話していましたが、藤井七段が今後いろいろな棋戦で勝ち上がることができれば、この対戦はこれから先、もっと数多く見ることができるのでしょう。そのことを期待したいです。