飛行機に乗るときは、できるだけ空から見える景色を楽しむようにしています。
夜の便はほとんど真っ暗であまり楽しむことはできませんが、それでもときどき綺麗な街の灯りに遭遇することがあります。
飛行機に乗るときは、できるだけ空から見える景色を楽しむようにしています。
夜の便はほとんど真っ暗であまり楽しむことはできませんが、それでもときどき綺麗な街の灯りに遭遇することがあります。
最近、谷崎潤一郎の「秘密」という小説を読んだのですが、非常に面白く、短編ということもあって一気に読み終えました。特に中高年世代に響く内容になっているのではないかと思います。
主人公が女装することや、最後に主人公が「血だらけな歓楽」を求める気持ちを理解することはできませんが、文章自体が綺麗で、趣のある日本語だと思いました。
雑然とした街中にこそひっそりと身を隠すのに最適な場所を見つけるというところ、長く東京に住んでいながら通ったことのない道のほうが(はるかに)多いことを認識するところ、普段何気なく通っている道でも一本奥に入ってみると全く知らない世界が存在することを認識するところ、などが特に共感しました。
そして、あることを知ってしまったために興醒めしてしまうこともあることを理解できます。劇的な変化を望むわけではなく、ちょっとした工夫に喜びを見出し、何かをきっかけに興醒めしつつも、またちょっとした工夫を通して喜びを見出していこうとする気持ちに共感しました。
30年以上前になりますが、私が高校生だったときに民間企業による大学受験の模擬試験で、国語の現代文の問題に宮本輝氏の「星々の悲しみ」が採用されていました。
問題を解くために本文を初めて読んだとき、「いい小説だなあ」と感動してしまい、問題を解くことを忘れてしまうほどでした。
そのことを思い出し、最近久しぶりに「星々の悲しみ」を読んだのですが、あのときの純粋な感動を味わうことはできませんでした。何故なのでしょうか。
この作品では、大学受験生が喫茶店に飾られた絵画を盗み出し、また元に戻すという出来事を通して、繊細な心の動きが描かれています。今の私は、その繊細さが心の奥のほうに押しやられ、鈍感さを持って今を生きているように感じました。
心を繊細に動かす原動力として、この作品では異性に対する漠然とした憧れ、友人の死を知らされることに対する喪失感があるかと思います。まず異性に対する憧れですが、五十歳近いおじさんが(今でも「それは無い」と言えば嘘になりますが)「それ、わかる!わかる!」と盛り上がってしまうのはいろいろな意味で興醒めなことと言えるでしょう。
友人をはじめとする知人の死については、何歳になっても悲しい気持ちに変わりはありません。むしろ歳をとればとるほど体力だけでなく、忍耐力も弱まってきている気がしなくもありません。
そのようなことから、人生の後半戦を生きていくための知恵として、いつの間にか鈍感になっていることが多いように感じます。
だからこそ、いい意味で鈍感となりつつも、覚悟を持って残された時間を有意義に使っていきたいと思いました。
いつも利用している国内線の飛行機の中の時間を楽しむため、できるだけ外の景色を見るようにしています。
特に富士山は必ず確認するポイントとなっているのですが、先日見た富士山は雪をかぶっていませんでした。
かなり暑い日が続いており、しかも今年はマスクをつけているので日中の外出は危険を伴うほどですが、真夏ならではの景色を楽しむことができました。
藤井聡太七段が渡辺明三冠に挑戦していた棋聖戦は藤井七段が勝ち越し、藤井新棋聖が誕生しました。昨日はNHKでも速報のニュースが出ていましたし、改めて注目度の高さを実感しました。
昨日の藤井新棋聖の記者会見を見て感じたことですが、藤井新棋聖からすればタイトルを獲得すること自体大きな目標であったことは間違いないとは思いますが、初タイトルを獲得したあとは、もうすでに次の目標に気持ちが移行しているような気がしました。
周りの大人たちは大騒ぎしているのに、当の本人は泰然自若としていて、その温度差が垣間見えました。最年少のタイトル獲得で、これは三十年ぶりの記録更新だったのですが、藤井さんは年齢のことを聞かれると、一貫して「年齢のことについてはあまり意識していません」という回答を続けています。それは、本当に正直な気持ちだと思います。
「三十年ぶり」というと、実際に三十年以上生きてみないとその時間軸を実感することはできません。「日本は七十五年前に終戦を迎えた」という歴史を学んだ時、学生だったときは「ずいぶん前の出来事」という印象でしたが、実際に自分自身が五十年近く生きてみた現在、「かなり最近の出来事だったんだな」という印象に変わりつつあります。それと同じような感覚が、いろいろな場面で出てくるのかもしれません。
今回の初戴冠で改めて実感したことですが、私たちは事実に対して何らかの意味付けを行い、物語をつくっていくことで生きる勇気や目的に転換していることが多かれ少なかれあるようです。例えば「三十年ぶりの記録更新」であったり「東海地方に初めてタイトルを持って帰る」ということであったりします。杉本師匠も言っていましたが、「東海地方にタイトルを持って帰る」ということは故板谷進九段からの悲願だったため、その重みは杉本師匠のほうが強く実感していることと思います。もちろん、事実を捻じ曲げて偏向報道されたり主義・主張されたりすることは十分に注意していく必要がありますが、今回の快挙は素直に喜ばしい出来事で、対戦者だった渡辺明二冠も受け入れていらっしゃるのではないかと思います。
藤井さんの昼食は味噌煮込みうどんだったそうですが、記者(東海地方の記者だと思いますが)の「昼食を味噌煮込みうどんにした理由は何かありますか?」という質問に対して、「いや、特には。味噌煮込みうどんは愛知県の名物で…」とはにかみながら回答しているのも印象的でした。
藤井新棋聖が誕生しても私自身の人生が何か変わるわけではありませんが、確かに何等かの勇気や前向きな気持ちを得ることができました。今後も一将棋ファンとして、注目していきたいと思います。
新型コロナウィルスによる緊急事態宣言を受けて、私の生活で変わったことの一つに読書の仕方が挙げられます。
私自身、「本を読むのは紙派」を自認していたのですが、自宅に引きこもっていた時期、試しに本をダウンロードしてスマホで読んでみました。すると、意外にスマホ画面で読書をするのが苦になりませんでした。
それどころか、スマホで読むことのメリットがいろいろあることに気づきました。ダウンロードだと数秒でデータが届くため、すぐに読み始めることができますし、スマホの中に本が入っているため、スマホとは別に本を持ち歩く必要もありません。
今ではスマホの中にまだ読み終えていない本がダウンロードされていないと不安になるくらいです。
今回の騒動で「デジタルシフトが加速する」と言われていますが、確かに知らず知らずデジタルシフト化された社会を私たち自身が受け入れ始めているのかもしれません。