短編小説と漫画

スマホで本を読む習慣がすっかり定着しました。スマホで読むことのメリットの一つに「重い本を持ち歩かなくてもよい」ということが挙げられます。そのため、当初は長編小説を読んでいたのですが、最近は短編小説も結構読んでいます。

 

短編小説だと細切れの時間を利用するのにちょうどよいですし、最後まで読み終えることがそれほど苦にはなりませんので、自分自身にあまりストレスをかけることなく読書を楽しむことができます。

 

一方で、マンガをスマホで一度読んだのですが、老眼にはかなりきついことがわかりました。ページを拡大して読むこと自体はできますが、ページごとのコマ割りにも当然ながら作者の意図があるでしょうし、そのあたりの感覚的な部分を堪能することができませんでした。今後、一コマずつ切り離して読むことができるようになれば老眼にも少しは優しくなると思うのですが…。

 

いずれにせよ、スマホによって細切れ時間を読書に活用することが容易となり、読書量自体も増えています。これからさらに老眼にも優しい環境が整っていくことを期待したいと思います。

「労働に従事しない者」

松本清張の小説を読んでいます。数十年前に書かれたものなのにとても読みやすいし、また、ストーリー展開がとにかく面白い。最近では「紐」を読んだのですが、半世紀以上も前にこんなにも本格的な推理小説が書かれていたのかと、只々驚かされました。

 

また、今読んでも新鮮さが際立つ小説だからこそ、その時代を浮き彫りにする言葉がいくつかありました。例えば「ハイカラ」。意味はわかりますが、「そう言えば最近は使わなくなったな」と感じました。「テンピ」に至っては、初めて触れた言葉であり、検索してその意味を知りました(ちなみに、調理器具のオーブンのこと)。「文化的」という言葉は、何となく意味は理解できるような気がしますが、実際のところはその時代を生きていない限り、本当のニュアンスを把握することは不可能なのかもしれません。

 

「紐」という小説の中で特に注目したのが以下の文言です。

「被害者は労働に従事しない者、たとえば、会社員か、商人」

 

令和の時代を生きる私たちの感覚からすれば、「え、会社員や商人って、労働に従事してないことになっているの?」と不思議に思います。これこそ、この時代を生きていないとわからない文言なのでしょう。

 

例えば、今の私たちは「会社員」という言葉を当たり前のように使用していますが、50年後の未来を生きる人たちからすれば「会社員って何?」と思われているかもしれません。

 

私にとって新鮮なストーリー展開の中に、その時代の肌触りが散りばめられていて、その対比がとても面白い小説でした。

天才の余白

藤井聡太二冠の将棋に対するユニークな考え方は「自分自身に余白がどれだけあるか」ということだと思います。

 

すでに10代で「余白」について向き合えること自体、すごいことだと思います。

 

この「余白」という意味ですが、藤井二冠がどのように捉えているか実際のところはわかりませんが、私自身は以下のように考えます。

 

将棋そのものの奥深さを測り知ることはできないとしても、自分自身の生涯の中でどれだけその一端に触れることができるか。そのために、自分自身が取り組むべきことをすべて取り組んでいるか。まだまだ今の時点で取り組むべきことがたくさんあるのではないか。

 

この「今の時点」で自分自身が取り組むべき課題のことを、「余白」と表現されているのではないかと思います。

 

翻ってその考え方を私自身に当てはめてみると、余白だらけでほぼ真っ白な状態であることを痛感します。残されたノートのページはそれほどないはずです。とにかく残されたページを埋めるべく、書き綴っていきたいと思います。

ウグイス

山間の集落にいると、ウグイスの声がよく聞こえてきます。今年は特に鳴き声が鮮明なような気がします。

 

まるでテープレコーダーに録音した音声を流しているのではないか、と勘違いするほどの声です。

 

春の山は若葉が広がり、緑というよりも黄緑色の枝が広がっています。所々に山桜が白い花を咲かせています。ソメイヨシノなどの桜が散ったあとも、山々が見頃の時期であることを再認識しました。

ニホンカモシカの子供

先日、山道を車で走行中、前方に小動物が道路上にジッと佇んでいるのを目撃しました。刺激して車に突進されては困りますので、徐行で近づいていくのですが、なかなか動こうとしません。

 

タヌキのような、イノシシの子供であるウリ坊のような、そんな感じですが、なかなか判明しません。あまりにも動かないので、動物の形をした落石か何かかな、と思い始めたとき、いきなり車のほうに歩を進め、車の左横を通り過ぎて行きました。

 

近くで目撃しましたが、見慣れない顔でした。タヌキではないし、ウリ坊でもありません。アライグマほどシャープな顔をしていなかったし、ましてやキツネや鹿ではありません。

 

あれは何の生き物だったのだろう、と疑問が募りましたが、自分の中で仮説というか、一つの答えを思い浮かべました。それは、ニホンカモシカの子供です。

 

胴体はタヌキのようなものですが、顔は明らかにタヌキではありません。歩き方が特徴的でしたし、あの顔を大人にするとニホンカモシカになるような気がします。本当にかわいらしい生き物だったので写真に収めたかったのですが、運転中ですし、なかなかそうもいきませんでした。

 

春になって野生動物も気持ちよさそうに生きているようです。

セルフレジ

スーパーマーケットの店舗でセルフレジが増えているという記事を読みました。新型コロナウイルスの影響が大きいのでしょうが、意外なメリットもあるそうです。

 

待たなくてよい、という利点があるだけでなく、セルフレジに変えてから店舗の利用率(延べ顧客数?)が上昇しているところが多いとのことです。これはなぜでしょうか?

 

待ち時間が少なければ、購入し忘れていた一品を「やっぱり買っておこう」という心理が働くかもしれませんし、セルフレジなら「あの人、またレジに並んでいる」とレジスタッフに思われないか、という心配もないため、リピート購入しやすいというメリットがあるのかもしれません。

 

私自身は、もっともっとセルフレジが広まってもよいと思っています。例えばコンビニ、ファミリーレストランなど。店員さんとは、アパレル店舗のように質問したいときに丁寧に対応してくれるのがよいのではないでしょうか。

 

新型コロナウイルスをきっかけとして、人と人との接点がますます見直されていくような気がします。