身の回りに存在するものはすべて「借り物」であるとする「レンタル思想」という言葉があるそうです。
「借り物」と言えば、今の住環境は「借り物」であるという感覚が私の中のどこかにあります。今まで深く考えたことはありませんが、シンプルな理由として、いずれ引越しする可能性が大いにあることに、意識的にも無意識的にも理解しているからなのかもしれません。
しかしながら、実家に帰ると、「借り物」という意識が非常に低いのです。「借り物」というより、むしろ自分の「所有物」のような感覚に近いかもしれません。いつまでたっても私の故郷であることに変わりがないからでしょうか。
そのことは、例えば甲子園での高校野球を応援するとき、故郷の県の代表校をつい応援してしまっていることにも現れているのかもしれません。
「レンタル思想」で言えば、「ルーツ」とも言える場所も「借り物」であるはずなのですが、なぜか特別な思い入れを持ち続けていることが不思議に思います。