中空に舞う光

今日はクリスマスです。


夜になると、いろいろな場所で電飾の光が輝いていました。「夜の光」と言えば、他にも花火を思い浮かべます。

クリスマスの電飾や花火を見て感じさせられることですが、これらはある一時期・ある一瞬に光るものだからこそ毎年続いているのでしょう。


例えば、ある花火大会で一万発打ち上げられるとします。これは、夏のある一日に集中して打ち上げられるからこそ趣があり、ずっと続けられてきたのだと思います。
これを「一度に一万発も打ち上げるのは『もったいない』」という理由で、仮に毎日30発前後打ち上げ続けたとすれば、それこそ『もったいない』と思われるかもしれませんし、第一誰も興味を示さなくなってしまうのではないでしょうか。


文明の衝突」で、日本は一国で独自の文明を築いていると指摘されています。それは、例えば「中空(ちゅうくう)構造」の精神性が挙げられるかと思います。


私たち日本人の精神構造は、普段は真ん中を「空(くう)」にし、必要に応じて、あるいは状況に応じた「神輿」を「空(くう)の中」に担ぐと捉える考え方があるようです。
この時期であればクリスマスの雰囲気を、夏であれば夏祭りや花火の雰囲気を、それぞれ担ぐ「神輿」を自然に入れ替え、生活を楽しんできた、あるいは困難を乗り越えてきたと考えられます。


この柔軟性は、別の言い方をすれば「緩衝地帯を重視する文明」と言えるのではないかと思います。白か黒かをはっきりさせる前に、意識的にも無意識的にも「緩衝地帯」を自分の中に持ち、自分と周りとの壁を緩やかなものにしていこうとするものです。


花火は一瞬に光り、闇が戻ればまた一年待つ存在であるからこそ粋なものであり、毎年続けられているのだと思います。
逆に言うと、花火は日常的なものにはなり得ませんので、「光」を待ち望む普段の生活・意識を「中空」の状態にしておくことが、これからの課題になってきているようにも思います。


繰り返しますが、今日はクリスマスです。
俗なる私が「聖なる気持ち」を担ぎ、いろいろ考えてみました。