私の戦後

終戦記念日の今日、自分自身にとっての「戦後」を考えてみました。


私は、「もはや戦後ではない」と言われから10以上経って生まれた世代です。今までに飢えに苦しんだことはなく、寒さに凍えてどうしようもない夜を過ごしたこともありません。生きていくために必要なものは、いつも身の回りに揃っていました。


だからなのか、私にとっての「戦争」や「戦後」は、壁を1枚隔てた向こうのほうにある「ニュース」や「歴史」としての存在だったように思います。


最近、「戦中」「戦後」の時代にいろいろな葛藤をしながら生きてこられた人の本をいくつか読んで、ひょっとしたら私の中にも「戦後」が息づいているのではないかなと感じました。


ある本には、日本人ひとりひとりが本来持っていた自分自身の「美意識」や「価値観」、「信念」といったものを、「戦争」によって徹底的に打ち砕かれていくことに対するなす術のない苦しみや悲しみがあふれていました。


そして、それこそ、私の中の「戦後」なのかもしれません。私は今まで、目に見えないものに対する価値観や信念といったものを深く考えることもなく、目に見えるわかりやすいものばかりを追って生活してきたように思います。「余計なことを考えるのは罪悪」といったような意識が、自分自身の中にありました。


自分自身の「もはや戦後ではない」という時代を迎えるためには、目に見えるものに対するわかりやすいものさしだけでなく、それよりも深くて広い、目に見えないものに対するものさしを、手に入れる努力をしていく必要がありそうです。