あたりまえ

余命幾ばくもない人の手記を読んで、寂寥感とともに、深く反省しなければいけないなあということを思い知らされました。


「あたりまえ」であると思うと、なぜ感謝できないなのでしょう。「そんなことはわかっている」はずなのですが、それが行動に移せなかったり、面倒になって何も変わらなかったりします。


健康であることや周りの人に助けられていることを、ついつい「あたりまえ」のこととして、何も感謝せず、無為に過ごしてしまうことが多々あるように思います。


「あたりまえ」であることが、ある日突然「あたりまえ」ではなくなってしまう。その怖さから逃れたいために、ついつい忘れてしまうか、無意識に忘れようと努力しているのかもしれません。少しずつでも、強くなっていかなければいけませんね。