監視と尊重

ある経営者の本を読みました。今は故人の方が書かれた本で、少し時代的背景が異なる部分もありますが、そのほとんどは今でも、今だからこそ、ビシビシと伝わってくるものがあります。


そのような本で感動するのは、言葉で説明するには何かモヤモヤとした事柄を、その人の言葉で鮮明にしてくれるということです。


例えば、政府と企業(官僚と企業)の関係性はどうあるべきかが論じられているのですが、「それぞれがそれぞれを『尊重』し合うことではないか」という主旨のことが書かれています。


現在の関係性は、それぞれがそれぞれを「監視」し合う側面が強く出ているように感じられるということです。もちろん「監視(モニター)機能」の役割も重要でしょうが、本来は「尊重」が大前提にあって、「尊重」をよりよく機能させるための手段として「監視機能」があるべきにもかかわらず、いつの間にか「監視」が目的になってしまっているようなところがあるということです。


「監視」は、「仕組み」でその機能を働かせていくことができると思われます。「尊重」は、相手の立場を思いやることなど、「仕組み」だけでは対応しきれない「何か」が必要だと思われます。そのため、「仕組み」で対応できる「監視」が、知らず知らずのうちに前面に押し出されてきてしまうのでしょうか。