日本の民話の一つに、「三年寝太郎」というお話があります。その内容はいろいろなバリエーションがあるそうですが、三年寝太郎が灌漑事業をやってのける話に興味があります。
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いつも寝てばかりいる男がいました。起きるのは食事のときくらいで、それ以外はいつも寝てばかりいます。
村人が朝から田畑で働いているときも、気にせず家で寝ています。いつしか村人は、その男を「三年寝太郎」と呼ぶようになっていました。
ある年、村に深刻な旱魃がおそいました。このままでは村人は飢餓で苦しむことになってしまいます。村人が途方に暮れていたとき、三年寝太郎が突然起き出しました。
寝太郎は、村の山に登って大きな岩を一人で動かしました。その岩は山を転がり、より大きな岩にあたって転がり、さらに大きな岩を動かしていきました。やがて川の流れが堰き止められ、田畑のほうに水が流れるようになりました。
村人は、もう旱魃で悩むことがなくなりました。
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このお話は、何を教訓としているのでしょうか。それは、村人側からの視点と、寝太郎本人からの視点の、双方の教訓があるように思います。
村人側からの視点としては、いつも寝てばかりで何もしない人であっても、実は村のことを真剣に考えていざというときに村を救ってくれることがあるのかもしれないのだし、仮にそのようなことがなかったとしても、村八分にすることなく、村社会の大切な一員として付き合っていくべきだ、という考え方があると思います。
一方、寝太郎本人からの視点としては、いつも村のことを考えていたとしても、他の村人が働いているときに、家でずっと篭もっているのはどうだったろうか、という考え方があると思います。「手を動かしながら考えろ」と言われることがありますが、寝太郎も他の村人と同じように、農作業に励みながら村のことを真剣に考えていたとしたなら、「三年寝太郎」という情けないあだ名を付けられることもなかったように思います。
あるいは、灌漑のような難事業を成し遂げるためには、傍目からは「三年寝太郎」と言われてしまうほど、「篭もる」時期が必要だったということでしょうか。村人から揶揄されても動じない強さがないと難事業を成し遂げることはできない、という教訓なのかもしれません。
「三年寝太郎」と言われても、当然ながら本当に寝てしまってはいけないわけで、傍目からは寝ているように見えても、いつも真剣に考え続けていること、悪戦苦闘し続けていること、そして「ここぞ!」というタイミングを捉えて実行に移すことが、とても大切なことなんだろうなあと思います。