夏休みの宿題は、いつも終盤ぎりぎりになってようやく重い腰を上げ、最後の最後で必死に取り組んだ記憶があります。「自由研究」では、朝顔か何かの成長日記を書いた年があったのですが、最後にまとめて一日一日の天気までは思い出すことができず、観念して「この成長日記は、あとからまとめて書いたところがたくさんあるため、天気はおおまかな記録になっています」と書きました。そのときの私は、先生に許しを請うために正直に書いたつもりだったのですが、あとでクラスのみんなの前で読み上げられ、大笑いされた記憶があります。
ところで、「重い腰を上げて」ようやく宿題に取り組み始めようとした子どもに対し、親がつい「宿題やった?」「まだ宿題やってないだろ?」とか言ってしまうと、「せっかく今やろうとしたのに、そんなこと言うからやる気がなくなった」と子どもに言われ、「重い腰をまた下ろしてしまう」ことがしばしばあるそうです。
この「重い腰をまた下ろしてしまう」ということは、子どもだけでなく、今の私自身においても、おおいにあり得ることだと感じます。仮に同じようなことに取り組むとしても、誰かに言われて取り組むのと、自ら進んで取り組むのでは、「腰の重さ」がまるで違うと想像できるからです。だからこそ、仮に誰かに言われたことであったとしても、「自ら進んで取り組もう」という気持ちに切り替えて実行する姿勢が大切だと思います。
さらには、「誰かに言われる」ということすら、徐々になくなっていくようです。それだけ責任が重くなっていくということでしょうが、「重い腰」にならないように、常に好奇心を持って、前向きに、軽やかに、いろいろと取り組んでいきたいと思います。