夏祭り

先日、ラジオを聞いていると、あの曲が流れてきました。

君がいた夏は 遠い夢の中 空に消えてえった 打ち上げ花火」


20年前、私は神戸・三宮の予備校に通っていました。浪人生で受験勉強だけをするための一年間だったような気がしますが、そんな時期だったからこそ、他では経験できないことを経験させてもらったと思います。

その年の夏、私は気分転換をしたくて、予備校の友だちをコンサートに誘いました。どのコンサートにするか、私なりにいくつか候補を出したのですが、確か彼が「ジッタリン・ジンやったら行ってもええよ」と言ったと思います。

神戸でその年に行われたジッタリン・ジンのコンサート会場は、かなり空いていました。そのときには、すでに人気に陰りが見え始めていたのか、それとも神戸ではあまり人気がなかったのかはわかりませんが、とにかく会場内はスカスカで、私たち二人はかなり前のいい席を取ることができました。

ジッタリン・ジンは観客の少なさをどのように受け止めていたのかはわかりませんが、その年の夏に発売した「夏祭り」という曲を、アンコールも含めて4〜5回は歌ったと思います。なんだかヤケクソな感じの熱さが伝わってきて、元々「ヤケクソパワー」を持て余していた当時の私たちの状況とも重なり合い、スカスカの会場であったにもかかわらず、異常に盛り上がり、とても楽しかった記憶が今も残っています。


その年の11月頃だったと思いますが、コンサートに付き合ってくれた友だちが、急に「オレ、やっぱり志望校変えるわ」と言い出しました。志望校を変えることはよくある話ですが、そのために受験科目も一部変更すると言うのです。受験本番まで残り100日くらいしかない時期だったため、さすがに私は反対しました。でも、強くは言わなかった。「受験科目を今から変えるのはどうかと思うけど、自分が決めることやでなあ」

強く言わなかったのは、相手のことを思ってというよりも、自分自身の受験勉強のこと以外、あまり関心がなかったからだと思います。夏にジッタリン・ジンのコンサートに付き合ってくれた友だちに対し、私はせめてその日は時間をとり、彼の意見をじっくり聞くべきだったと反省します。


私は何とか大学受験に合格することができて、(当時は携帯電話がなかったので)早速彼の家に電話してみました。すると彼の母親が出て、「今は誰とも話したくないと言ってますので、すみません」と言われてしまった。その後、何回か電話をしたものの、同じことの繰り返しでした。あの日、私が一日時間をとったところでどうにかなった訳ではないでしょうが、せめてそうすることで、自分自身に対する悔いは残らなかったのではないかと反省します。


あれからちょうど20年目の夏です。20年も経てば、大学受験の1年や2年なんて誤差と言えます。「人間万事塞翁が馬」という言葉があるそうですが、大学受験を終えた私は、大学生活ですっかり浮かれてしまい、結局そのツケが今になって自分自身を苦しめています。

私自身、あの年の夏より今年の夏のほうが、ある意味追い込まれた状況と言えるかもしれません。だから、今こそお互い、あの年以上の「ヤケクソパワー」を炸裂させていきましょうよ。