スクイズのサイン

私が小学生だったときの「道徳」の教科書に、次のような議題が載っていました。
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夏の甲子園球場は、熱気に包まれていました。9回裏、1アウトランナー3塁。A君の高校は、このランナーを帰すことができれば、土壇場で同点に追いつくことができます。

打席に立つのは、4番バッターのA君。今までチームを引っ張ってきた強打者ですが、今日はまだヒットがありません。A君は、打つ気満々で打席に向かいます。

打席に入ったA君は、監督のサインを確認してがっかりします。4番打者のA君に対し、初球スクイズのサインでした。いったん打席を離れ、深呼吸するA君。スクイズを悟られないように、素振りに余念がありません。

監督の読み通り、相手ピッチャーは、初球ストライクを投げ込んできました。一瞬、監督は「しめた!」と思いますが、目の前では予想外の出来事が起こりました。A君はスクイズすることなく、初球のボールを思いっきり引っ張り、レフトスタンドまで運びました。A君は、サヨナラホームランを打つことができました。

さて、ここで質問です。あなたは、A君のこの行為に賛成ですか、反対ですか。また、それはなぜですか。
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今の私たち世代に「道徳」の授業があるとするなら、次のような議題になるのではないでしょうか。
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夏の甲子園球場は、熱気に包まれていました。9回裏、1アウトランナー3塁。A君の高校は、このランナーを帰すことができれば、土壇場で同点に追いつくことができます。

打席に立つのは、4番バッターのA君。今までチームを引っ張ってきた強打者ですが、今日はまだヒットがありません。A君は、打つ気満々で打席に向かいます。

打席に入ったA君は、監督のサインを確認してがっかりします。4番打者のA君に対し、初球スクイズのサインでした。いったん打席を離れ、深呼吸するA君。スクイズを悟られないように、素振りに余念がありません。

さて、ここで質問です。あなたは、この場面で監督が出したスクイズのサインに賛成ですか、反対ですか。また、それはなぜですか。
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もちろん、どの試合のどの場面においても、それまでの過程がありますから、正解は一つではないと思います。でも、今の私であれば、ここでスクイズのサインを出すことは、まずあり得ないと思います。つまり、質問に対して、「反対」の意見です。なぜなら、A君だけでなく選手全員が、甲子園に出場するまでにどれくらいの練習を積んできたか、また、甲子園での経験が彼らのこれからの人生にどのような重みを持ってくるのか、を想像してしまうからです。

心理療法家の河合隼雄さんは、「一生懸命、何もしない」という言葉を残されました。もし私が監督であるなら、この場面では「一生懸命、何もしない」ことに全力を注げる監督でありたいと思います。つまり、スクイズのように、監督自らの采配によって試合の行方に大きな影響を及ぼすことはせず、A君をはじめとする選手たちの運命を信じて、じっと見守ることに全力を注ぎます。そして、この場面における「一生懸命、何もしない」ということは、犠牲フライを打ちやすいボールを瞬時に分析し、打席に向かうA君に対し、例えば「外寄りのストレートをセンター方向に叩いていけ」といった言葉をかけ、どっしりと戦況を見守ることではないでしょうか。


甲子園に出場するための根拠としては、監督の指導力がかなり大きな割合を占めていることと思います。でも、試合の行方は、選手たち自身の運命に託して、監督は選手たちを精一杯フォローすることに全力を注ぐべきではないでしょうか。確かに、監督の指導力あってこその甲子園出場でしょうが、それでも甲子園出場を掴み取ったのは、選手たち自身です。選手たちの過去と未来と現在がうまく結びつき、よき経験となるように、全力プレーを旨とする采配を期待したいと思います。