喜神を含む

「喜神を含む」という言葉があるそうです。どんなに苦しいことがあったとしても、心のどこか奥のほうに、喜びの神、喜びの心を含ませておくことが大切だという意味だそうです。

苦しいことや悲しいこと、つらいことがあると、そのことが心のすべてを覆いつくすような気がします。でも、そんなときこそ「喜びの神」を心のどこかに含ませておくべきだということなのですが、果たして、そのようなことは可能なのでしょうか。


苦しいこと、悲しいこと、つらいこと、などと並べると、その体験は人によって異なるわけですから、一概に「こうすればよい」と即答できるものはないのかもしれません。でも、私が「喜神を含む」という言葉を知ったとき、ある先生に教えていただいた言葉がすぐに浮かんできました。「僕にとっての『喜神』とは、きっとあの言葉なのだろう」ということがすぐにピンときて、そういったことを学んでくることのできた境遇に、ますます深く感謝したい気持ちになりました。それは私自身、「これこそ究極の楽天志向ではないだろうか」と感じた言葉です。


では、その言葉とは何か。それは非常に簡単な言葉であるため、今の私が簡単に使ってしまうと、すぐに埋もれてしまうような言葉であるような気がします。仮にこのブログを見ていただいている方が誰もいなかったとしても、しばらくは心の中に留めておきたいと思います。

「喜神」とともに、一日一日を大切にしていきたいと思います。