東京で何年も過ごすようになると、都内にいくつもある街ごとに、その雰囲気が大いに異なることがわかってきます。それは街を歩く人や建物などの雰囲気で感じるものなのかもしれませんが、コーヒーショップやファーストフード店などに入ると、その違いがより鮮明に感じられます。
決して法律で定められたわけではないのに、見事な住み分けがされているかのようです。例えば、丸の内や八重洲などのコーヒーショップに入ると、ビジネスの最前線で活躍している人が集まり、青山などではオシャレな人が集まっている、ように感じます。
それは、なぜなのでしょうか。街ごとの「ブランド力」が、その街にふさわしい人を惹きつけるのでしょうか、それとも街ごとの環境が、その環境に適した人になるよう変えていくのでしょうか。いずれにしても、コーヒーショップなどに入るにしても、街や時間帯によって、「ちょっと場違いだったかな」と感じることがあります。
先日、帰省する途中、バスを待つために駅の近くのファーストフード店で休憩しました。その街の駅前で休むところといったら、そこしかお店はありません。でも、「そこしかない」ということが、逆におもしろい環境なのかもしれません。そのファーストフード店では、いろいろな層の人がいましたが、特におもしろかったのは、男子高生の集団と女子高生の集団がにぎやかに会話をしていたことです。
決して盗み聞きをしたわけではなく、大きな声で話し合っていたため、店中に会話が筒抜けでした。男子高生たちは、純粋に恋愛の悩みを話し込んでいました。一方、女子高生たちは、私のようなおっさんでも「卑猥だなあ〜」と思わずにはいられないような恋愛ネタで盛り上がっていました。その違いが、同じ店の中で繰り広げられているということが、非常に面白い出来事だと感じました。
私はその店で「日本の将来は危機的な状況」というような内容の本を読んだいたので、目の前で繰り広げられている底抜けの明るさに、「日本の将来が危機的な状況だというのも、ひょっとしたら『幻想』なのではないだろうか」という気にさせられるくらいでした。
これからの日本において、いろいろ乗り越えていかなければならない課題は山積していると思いますが、若い人の明るさが、いつまでも続いていく社会であってほしいですね。