革命によるパワーシフト

「インターネット革命」によって権力の転移がもたらされる「パワーシフト」が、私たちの想像をはるかに超えて実行されているように感じます。

産業界においては、「生産者」から「消費者」へ、「パワーシフト」が実行されているとされています。例えば、音楽。例えば、書籍。生産者側が持っていた力が消費者側に移っている事例として、インターネット革命を通して、それらの価格が劇的に低下したことが挙げられると思います。ipod電子書籍リーダーなどが、「パワーシフト」の波に乗って大ヒットしています。また、供給するコンテンツそのものも、インターネットが持つ「口コミパワー」を考慮せざるを得ない状況になってきていると思います。


そして、インターネットによる「パワーシフト」は、どうやら産業界の中だけで納まる程度のものではないということを気づかせてくれます。

例えば、アメリカにおいては、政治家のソーシャルメディアの活用如何によって、選挙の結果に大きな影響をもたらすようになってきたとされています。借金大国の日本においては、今後ますます「お金をかけない政治活動」が求められていくでしょうから、ソーシャルメディアをいかに活用していくか、ということは、政治の世界において、決して軽視できない問題だと思います。

また、「サムライ業」とされる「○○士」の業界も、今後大きな「パワーシフト」がもたらされていくのではないでしょうか。弁護士、会計士、社会保険労務士など、また医師の世界においてさえ、インターネット革命による影響は避けられないと考えられます。

それは、「知識」を自分の中だけにとどめておくことが難しくなってきているからです。「情報」「知識」が、どんどん「フリー」に向かってインターネット上で公開されていく社会においては、いかに「知識」を超越した「智恵」や「技術」を持っているか、いかに「顧客志向」の生業を行っていくことができるかが、今後の「勝負どころ」になっていくと考えられるからです。


そして、インターネット革命は、官僚のあり方にも「パワーシフト」をもたらすような気がします。「科挙」の制度が今までは大いに役立ってきたとされていますが、今後は「知識はネット検索で誰でもすぐに見つけられる時代」となっていきますので、その制度のあり方が問われるようになると思うからです。「現実の世界の荒波を乗り越え得る胆力のある人材、ビジョンを持ちつつ柔軟性に優れた人材こそが、今後の官僚に対してより強く求められるべきではないか」という世間の声が高まったとき、民間人材の登用など、官僚における「人の流動化」を加速させる制度の見直し論(「天上り」の活性化と「天下り」の健全化)が高まっていくのではないかと思います。

そうなると、まさに日本国家における「パワーシフト」がもたらされるということではないでしょうか。


大切なことは、(先日の龍馬伝でも言っていましたが)「力を持っている者は、簡単に力を手放すわけがない」ということだと思います。それは、力を持っていない私のような者からすると「保身」と感じてしまうことなのかもしれませんが、一度力を持った人からすると、それは「生きることそのもの」なのかもしれません。

だからこそ、本当に大切なことは、「パワーシフトによって、どのような社会に変えていくべきなのか、どのようなビジョンが見えているか」だと思います。「平成の無血開城」を実現するためには、やはり「志」「大我」が大切だということでしょうか。