自分のためかチームのためか

私が中学2年生だったときの話が(昨日から)続くのですが、野球部に所属していた私は、夏の大会当日になってレギュラーを外されてしまいます。

それまでずっとバッティングが好調だっただけに、とてもガッカリしました。そして、大事な夏の大会本番において、私のモチベーションは最悪の状態となり、監督の指示を無視する有様でした。なぜ、そんなに落胆してしまったのでしょうか。


それは、日頃から「自分のこと」しか考えていなかったからだと反省します。野球部の練習に望む私自身の考え方が、「自分が活躍するには、どうすればよいだろう」と固まっていたため、結局「活躍する場」すら与えてもらえないことがわかったときに、その反動が出てしまったのかもしれません。

もし、普段から「チームが勝つために、私にできることは何だろう」という考え方で練習に望んでいたとしたら、どうなったでしょうか。おそらく、本番当日にレギュラーを外されたとしても、すぐに気持ちを切り替え、控え選手としてチームのために何ができるかを模索し、それを実行していたと思います。


どうやら、普段自分が何気なく考えている「方向性」というものに、もっともっと意識を注ぐ必要がありそうです。


(話がかなり飛んでしまいますが)近代日本の「会社」の礎を築いた渋沢栄一氏は、「論語と算盤」という本の中で、「士魂商才」という言葉を掲げています。「商才」を磨いて富を築いていくわけですが、その富をなす根源は「仁義道徳」であるとし、「正しい道理の富でなければ、その富は完全に永続することができぬ」と書いています。

また、「論語と算盤」において、次のような内容の言葉で締めています。

「事の成功や失敗のこと以外に意識を向けて超然と立ち、道理に則って一身を終始するならば、成功や失敗のこと以上に価値のある生涯を送ることができる。成功は人としての務めを全うしたことによって生ずるおまけみたいなものであるから、意に介するに足らないではないか」


普段の仕事において、「自分自身が考えている方向性」というものにもっともっと意識を注ぎ、「自分にとっての道理」を見出していく必要がありそうです。