幸福の青い鳥

最近、「幸福の青い鳥」の逸話を耳にする機会が何度かありました。また、最近心の持ち方に関する本をいくつか読みました。そのせいか、「幸福の青い鳥」が伝えようとしていた内容を、自分なりに自然と考えていました。


「幸福の青い鳥」の本をきちんと読んだ記憶はありませんが、そのあらすじは当然のように覚えています。チルチルとミチルが、見つければ幸せになるとされる「青い鳥」を求めて、遠くまで探しに出掛けていきます。でも、どこへ行っても青い鳥を見つけることはできません。ずいぶん遠くまで出掛けていきましたが、結局は見つけることができず、自分たちの住んでいる場所に戻ってきます。そして、自分たちが住んでいた身近な場所で、「青い鳥」を発見するというお話です。

私は、このお話から、「幸福は、遠くにあるものではなく、常に身近なところに潜んでいる」と解釈していました。それはそれで間違いではないと思うのですが、その解釈だけでは不十分なような気がしています。

それは、「『探す』という行為を見直す必要がある」ということでしょうか。「探し物」が遠くにあるものでも、身近なところにあるものでも、「探す」という行為が「自分以外の何か」だけに向けられるのであれば、「幸福は自分以外のところにある」ということになってしまいます。でも、「本当に幸福を得たいなら、『自分』を差し置いて得られるものではない」ということを、このお話は伝えているようにも思います。


「探す」ことを、「自分以外の何か」だけに求めるのではなく、「自分自身の何か」にも求めることが大切だということでしょうか。自分の心は、いつも「自分以外の何か」から影響を受け、清濁併せ持っていますが、その中からでしか、「幸福」も見出していくことはできない、ということでしょうか。「自分以外の何か」から影響を受ける「自分自身の何か」は、繊細でもろい部分もあるように感じますが、そこから逃げ回っているだけでは、幸福をも見出すことができない気がしてきました。