「ビジネスでは、仮説を立て、それを実行し、検証していくことが大切である」という主旨のことをよく耳にします。先日、そのことについて「なるほどなあ」と思わされることがありました。
それは、「ビジネス」においてではなく、日常生活の些細な出来事で気づかされました。金銭的に「今月は厳しいなあ」といった日が来ると、「まず何を節約していこうか」と考えます。もちろん、自分で商売をしていたり個人事業主であったりする方は、収入を増やすことも考えるのでしょうが、「今月をどうするか」となると、なかなかすぐに現金を増やそうというわけにもいかないのではないでしょうか。
先日、私は金銭的に厳しい状況の中で、ある買い物をしたのですが、「これ以上の価格だったら、別の店で探そう」という不退転(?)の決意で店に入っていきました。実は、その物自体、滅多に買うものではなく、もう10年近く買っていませんでしたので、その商品の相場など全く知りませんでした。
でも、不退転の決意(?)をしていましたので、自分勝手な予算設定であるにもかかわらず、なんとかその範囲内で購入しようと覚悟(?)を決めていました。するとどうでしょう。私が何の根拠もなく設定した予算額は、見事に的を得ていたのです。予算オーバーで購入できないものもありましたが、予算の範囲内で購入できるものが二つほどありました。
何の根拠もなく自分の中で仮説を設定し、「この価格の範囲内で購入しよう」と行動したことが、その日の自分にとっては(自分で言うのも何なのですが)見事としかいえないものでした。
喜んでいるだけでは意味がないので、「どうして的確な予算を設定することができたのだろう」と自分なりに反省しました。一つは、「仮説」というと、どっちみち試行錯誤しながら修正していくものだから、それを設定する時点では、ついつい真剣さが欠けているのではないか、ということです。たとえ根拠のない「仮設」設定であったとしても、真剣勝負でのぞむ気持ちが大切なのではないかということです。
そしてもう一つは、毎日食べ物などを購入しているように、一見何の関係もない普段の行動が、実は重大な「仮説」設定をするときに威力を発揮するのではないか、ということです。設定する「仮説」に対して、全く関係がないと思っていても、「あれはあの値段だから、これはこの程度の値段じゃないだろうか」といったように、無意識の中で重要な判断材料として活用しているのではないかと思います。「無用の用」ということでしょうか。
本当に些細な買い物をしただけなのですが、その日は充実感に満たされました。