不立文字(ふりゅうもんじ)

以前何かの記事に、次のようなことが書いてありました。

「私は今まで多くの経営者と会ってきましたが、『ドラッカーはこのように言っている』とか『松下幸之助は次のように語っている』とかいう言葉をしばしば耳にしました。大切なことは、それら著名人の言葉をそのまま借用するのではなく、経営者自らの言葉として語ることにあるのではないでしょうか」


最近、たまたま続けてドラッカー氏と松下幸之助氏の本を読みました。正直なところ、私も「ドラッカーの本には、このようなことが書いてあった」とか、「松下幸之助さんは、このように言っている」とかいうことを思いっきり引用したい気持ちに駆られました。やっぱり何かを惹きつける魅力に溢れているのかもしれません。その上で、「自らの言葉で語る」ということの大切さもしっかりと意識していきたいと思いました。


一方、「不立文字(ふりゅうもんじ)」という言葉がありますが、「本当に大切なことは、言葉を超越したものでしか伝わらない」という世界があることを忘れずにいたいと思います。「本当に大切なことは、何も語らずにも相手に伝えることができる、相手に伝わることになる」という現実があることを忘れずにいたいと思います。ただ、「不立文字」という世界も「不立文字」という言葉によって広く伝えられているわけですから、やっぱり言葉の持つ力を疎かにすることはできないでしょうが…。


ものすごく仕事に打ち込んでいる人が、以前ぼそっと「所詮は仕事じゃないか」とつぶやいた一言にものすごく惹かれたことがありました。普段から(私のように)ダラダラと仕事をしている者が「所詮は仕事じゃないか」と言っても、それはただの愚痴にしかなりません。しかしながら、仕事に命懸けで取り組んでいる(ように周りの人からは見える)人が、「所詮は仕事じゃないか」と、心のどこかで少し突き放しているバランス感覚には、人を魅了する不思議な力があるのかもしれません。


言葉の世界も、同じことが言えるのかもしれません。言葉の威力を謙虚に受け止め、日々新しい言葉との出会いを求めつつも、心のどこかに「不立文字」の世界があることを素直に受け入れるバランス感覚が大切なのかもしれませんね。