運とツキについて

最近、ある経営者が書かれた運とツキについての本を読みました。これがおもしろい!読んでいて自然と楽しくなってきます。それは私の場合、自然と学生時代のことを思い出すからかもしれません。


「運とツキ」について、私が最も具体的にイメージしやすいものは麻雀です。大学生のときは、よく友人と麻雀をして遊びました。今では「もっと勉強しておけばよかったなあ」と思わないことはありませんが、この本によって学生時代に遊んでいた自分がほんの少し救われた気がしました。


麻雀をすると実感することですが、「運のいい人」「ツイている人」というものは確かに存在します。そのような「自然と与えられる運とツキ」は、確かにある人・ある場所に滞留します。でも、やがては別の人・別の場所に移動していきます。あるいは、分散していきます。


「自然と与えられる運とツキ」は、どうやら流動的なもののようです。そこで、麻雀で勝つためには、「運とツキ」をできるだけ自分のところに長く滞留させるよう、いろいろな工夫をしていきます。


例えば、自分以外の誰かに滞留している「自然と与えられる運とツキ」が、非常に強力な場合があります。そのようなときは、なかなか自分のほうに「運とツキ」が移動してくれませんから、負ける確率が高まっていると言えます。逆に言うと、いつもよりも細やかな工夫を積み重ねる必要性が高まっていると言えます。具体的には、偏っている「運とツキ」を、満遍なく馴らす作業をしていきます。麻雀では、最適な誰かにワザと振り込むべき場面もあり、とにかく自分のことを最優先にするのではなく、全体が馴らされることを最優先に取り組み、「自己犠牲」を払うことも行っていきます。


でも、それは「言うは易く、行うは難し」で、実際には「自己犠牲」をそう易々と実行できるものではありません。そのため、思うようにいかず、自分自身の負けが込んでくると投げやりになり、全体を優先するつもりがいつの間にか自分のことだけ考え、そうして自分自身を見失っていきます。多くの場合、私はそのようにして負けていたようでした。


でも、投げやりにならず、コツコツと自分がすべき作業を楽しみながら取り組んでいると、やがては自分のところにも「運とツキ」が巡ってきます。そして、そのような「自ら呼び込む運とツキ」は、比較的長く滞留していただけるようでした。


このように、「自然と与えられる運とツキ」は、その日・その場で流動的に動いていくため、誰かが「自分のもの」として独占することはできません。一方で、「自ら呼び込む運とツキ」は、その人次第で「自分のもの」として長く滞留させることができるようです。


そうやって考えてみると、「自然と与えられる運とツキ」は、ひょっとしたらより多くの人が自分のことを最優先にするのではなく、全体を大切にするように仕向け、その方向性で個々が日頃から努力し、工夫するために存在しているのではないか、という気がしてきました。もちろん、今の自分で結論が出せるほど単純なものではないでしょうから、どこまでも謙虚でなければいけないと、一方で反省します。


学生時代に遊んだ時間を無駄にしないためにも、仕事における「運とツキ」を大切にしていきたいと思います。