日常の些事の対処法

「日常の些事に一喜一憂するは、事を成すに足りず」

最近読んだ本の中には、このようなことが書いてありました。日常生活において、ちょっとしたことでイライラしたり、気が動転してしまったりすることが多々あります。街中で肩がぶつかったり電車の中で押しのけられたりすると、いちいち気にしてはいられないと思うものの、そのたびにイライラする自分がいることも事実です。


菜根譚には、「細い道を通り過ぎるときは、一歩下がって人に道を譲るべき」と書いてありました。これは、自分自身の謙虚な気持ちを育んでいくための重要な生活態度であり、つまり「些事」と言えどもなんらかの意味があるわけで、それをどのように受け止め、どのように実行していくかによって、その人の歩む道が大きく異なっていくということのようです。


「日常の些事に一喜一憂するは、事を成すに足りず」という言葉の真意は、「日常の些事にかまっていてはいけない」ということではなく、逆にしっかりと受け止めるべき大切な課題である、ということでしょうか。日常のちょっとした出来事で、自分の心、感情は頻繁に揺れ動きますが、大切なことは「揺れること」そのものを否定するのではなく、「揺れ続けること」を問題視することにあるようです。


誰でもちょっとしたことでイライラしたり嬉しくなったりしますが、「揺れた心」を「揺れ続けない心」にさっと切り替えることができるように、日常生活を通して修練する機会が与えられており、そのことに感謝の気持ちを抱く。。。うーん、これは簡単な課題ではなさそうです。だからこそ「揺れ続けない心」を得るということは、生涯にわたる課題と言えるのかもしれませんね。


日常の些事で心が揺れてしまったとき、いつまで揺れ続けているかを冷静に観察し、もしそれが長引くようだと、揺れが治まるような工夫を心掛けていく。この修練が、「事を成す」ためには必要のようです。