一日一生

「一日一生」という言葉を初めて認識したのは、大リーガー松井秀喜選手の記事を読んだときでした。松井選手の「座右の銘」だったか「好きな言葉」のところで、「一日一生」が掲載されていました。


「一日は一生の短縮版であり、一生は一日の積み重ねでしかないのだから、一日を大切に生きることが一生を大切に生きることにつながる」


確か、そのようなことが書いてあったと思います。松井選手はニューヨークヤンキースに所属していた最後の年、ワールドシリーズでMVPに選ばれ、まさに「タッチ・オブ・グローリー」を経験したその一瞬先から、大変な時期が続いています。ヤンキース以外のチームに移ってからは、なかなか結果が出ずに苦しんでいるように見えます。もちろん、一ファンからすると、もっともっと活躍してほしいのですが、一方でこれほどの選手が苦しい時期に目の前の仕事に取り組む姿はどのようなものなのか、そこのところにも注目したいというのが正直なところです。


ところで、最近読んだ本の中にも「一日一生」について書かれていました。


「『一日一生』という言葉の真の意味は、『一日を大切に生きよう』というおおらかなニュアンスのものではない。今日一日を一生とみなすのであれば、今日やるべき何かをやり残しているような人には、一生もやるべき何かをやり残し、そうして後悔しながら死を迎えることを意味する。死を迎える際、悔いのない一生だったと安らかな気持ちで満たされるためには、まさに今日一日を『生き切る』ことでしか方法はないのである」


本当に手厳しいですね。「今日が駄目でも明日がある」というように、ついつい易きに流されているのが自分の姿だと反省します。今日やるべきことを掲げ、まさに「今日を生き切る」覚悟で取り組んでいく必要がありますね。