君子と小人、徳と才

「『才』よりも『徳』が勝っている人を『君子』と言い、『徳』よりも『才』が勝っている人を『小人』と言う」


最近読んだこの言葉が気になっています。私たちの世代は、「徳」について具体的に何かを学ぶ機会を与えられてこなかったので、優秀な人であればあるほど「才」が勝っている人が多いのではないかと思います。つまり、「小人」が幅を利かす社会になっているのではないでしょうか。


「才」の秀逸さは、比較的それを見出しやすく、世の中にも認知されやすいものと思われます。そのため、「才」が賞賛され、ますます「才」を重要視する価値観が増幅されていきます。しかしながら…


最近、自分なりに漠然と感じることですが、何かを突き抜けた「超一流の人」は、「才」を磨きつつも「徳」に優れた人が多いのではないでしょうか。事業において考えてみます。自分の小さなエゴに凝り固まったような人であったとしても、「才」に優れていれば、その「才」によって一定の成果を上げることはできると考えられます。しかしながら、「超一流の人」と誰もが認めるような事業人は、人間的な魅力もあってこそと思われます。それは、事業規模の大小は関係ありません。


もちろん、「下段者、上段者の力量を知らず」という真理があるでしょうから、自分自身がそのような「超一流の人」を理解することは難しいことなのかもしれません。


ただ、最近しばしば感じることですが、「目の前の大きな課題」を解決しようとするとき、「才」を通してうまく切り抜けようとすることに、そろそろ限界がきているような気がします。


原発問題もそうですし、日本国家の財政問題もそうですし、日本経済の活性化もそうだと思います。「才」を振りかざし、「才」と「才」をぶつけ合ってよりよい社会を構築しようとしても、どうも「悪あがき」のように見えてしまうのは私だけでしょうか。それよりも、小さなエゴ(小我)を打ち砕く努力をし、より大きなエゴ(大我)を身につける修練を通して、よりよい方向性を見出していくことが「急がば回れ」の解決法であるような気がします。


「徳」は「才」よりも漠然としていて、把握しづらいものなのかもしれません。でも、だからこそ「徳」を重要視しようとする価値観が求められているのではないでしょうか。私自身、やっぱり「下段者」だからでしょうか、「才」のある人を理解することはできても、なかなか「徳」のある人を理解することはできません。


しかし、だからこそ「徳」に対しても無頓着ではない自分でありたいと思います。