「大器晩成」の落とし穴

40歳を超えてもまだ何も成し遂げていない者(私自身のことです)からすれば、「大器晩成」という言葉がますます魅力的に感じ始めてきます。でも、まさにそのような自分自身を戒める言葉が、最近読んだ本の中に書いてありました。


「40歳を過ぎてちゃんとしたことができなかったのであれば、それは能力がなかったということなのだから、『大器晩成』などと言って甘えていてはいけない」


中年の希望を叩き砕くような厳しい言葉ですが、ある意味では一つの真実を表していると思います。「成功したかどうか」という基準であれば、それは「運」ということも大きく作用すると思いますが、「ちゃんとしたこと」をやってきたかどうかという基準に立てば、これは全く言い訳ができません。「ちゃんとしたこと」をやってきたかどうか内省するとき、残念ながらすぐに「はい」と言えない今の自分は、やっぱりある意味で「能力がなかった」と言われてもやむを得ないでしょう。それでも…


それでも、何かのために、前向きに仕事に取り組んでいくべきだと思います。大切なことは、「大器」かどうかということにあるのではなく、「大器」であってもなくても、自ら「一隅を照らす」明かりとなることができるかどうか。年を重ねれば重ねるほど、そのことに対する重みが増していくのではないかと思います。


だからこそ、やっぱり今からでもやるべきことがたくさんある。自分には自分なりに取り組むべき仕事がある。「大器」かどうかを気にするのではなく、自ら周りを照らす明かりとなれるかどうかの一点において、これからも真剣に仕事に取り組んでいきたいと思います。