しびれるもの

最近、おもしろい言葉を見つけました。


「何にしびれるかによって、その人が決まる」


「どうせしびれるなら、『本物』にしびれるべきである」という意味です。「しびれるもの」の対象としてはさまざまなものが想像できますが、この場合の「しびれる」対象は、その人が何を、誰を、私淑しているか、ということにあると思います。どのような思想や書籍、誰を私淑しているかによって、その「人物」が形成されていくということでしょうか。


私自身、心から私淑できる人がいるということは、本当にありがたいことです。ただ、そのことで、一つの質問が湧き出てきます。


「それは、僥倖だったのか。それとも、幸運か」


そのどちらかに判定されるとするならば、「ちょっと待ってください」と言いたいと思います。おそらくその答えを分けるものは、「今」をどう生き、「これから」をどう生きていくかにすべてがかかっていると思うからです。私自身、今まで本当に多くの尊敬すべき人と出会うことができ、鍛えていただく機会を得ることができました。しかしながら、自分自身の弱さ故に、その期待に応えることができず、どんどん自分の世界に縮こまっていく傾向にあったのではないかと反省します。


そういうことも踏まえ、これからさらに一日一日を大切にしていくことができるようにしていきたいと思います。