実学

今おもしろい小説を読んでいるのですが、「ラストサムライ」がいた明治維新前夜、「実学」を重んじる人がそれなりにいたようです。もちろん、当時も「書の学」に長けた人を重宝する風潮があったことは否めないようですが、それでも「書の学」だけの人を「取るに足りぬ」と一刀両断する人がいたことは確かなようです。


確かに「書の学」も非常に大事ですし、できないよりはできたほうがはるかに素晴らしいことは間違いありませんが、混迷の続く今の日本において、「実学」をもっと重視すべき必要性が高まっているような気がします。


実学」とは「いかに生きるかの学問」と言えるかもしれませんが、これを「知りたい」と内心思っている人は、実はかなりいるのではないかと思います。私自身、30歳過ぎまで「実学を学んだところで、一銭の得になるものか」という思考にあったように思います。「実学」という小難しいことを学ぶよりも、少しでも自分自身の「商品価値」を高めることのできる「書の学」を身につけたほうが、よっぽど「得」であると思っていたのかもしれません。


しかしながら、無意識の世界は、そんなに単純なものではないのかもしれません。やはり自分自身の中でも、「実学」を得たいという思いがどこかにあったのかもしれません。私が大学院に入学した当初の理由は、「自分自身の商品価値を高めること」でした。しかしながら、その中で偶然にも素晴らしい「実学」を学び、自分自身の無意識の中の固い岩石に閉じ込められていた思いが、沸々と湧き上がってくるような経験をしました。大切なことは、「得」をすることではなく、「徳」になることをするということでしょうか。


もちろん私自身、「偉そうなことを言って、一体どれだけのことができるのか」という大きな課題が常につきまといますが、「いかに生きるべきか」という思いは、いつも自分の中で忘れずに持ち続けたいと思います。