以前にテレビで高野山の映像を見て以来、一度行ってみたいと思っていたのですが、先日ようやく足を運ぶことができました。
高野山の観光は、その場所だけにあるのではなく、高野山に至るまでの道のりから始まっています。車で九十九折の道路を何度も何度も曲がりながら登っていくわけですが、「もうそろそろ着くのではないか…もうそろそろ着いてもいいのではないか…もうそろそろ着いてくれ…」と、徐々に気持ちが変化していきます。
そうして車を運転しながら、いつの間にか昔の人のことを考えている自分に気づきます。「車で行ってもこんなに大変なのに、車のなかった時代の人は、どのような思いでこの山道を登っていたのだろうか…」
この地を開山した人たち、この地に寺院を建立した人たち、この地で修行した人たち、この地まで徒歩で参拝した人たちに対して、徐々に畏敬の念が湧き上がってきます。そうした心境になってきたとき、ようやく高野山に到着しました。
到着してわかったことは、そこが一つの「街」になっていることです。銀行があり、学校があり、役場があります。だから目隠しをして高野山に到着してしまうと、その凄さを実感することはできません。それくらい、深い山の上に一つの「街」が自然な姿で営まれています。
さまざまな寺院を眺めながら、やっぱり不思議な感覚が芽生えてきます。「ここが、あんなに長い山道を登り切って到着した場所だろうか…」まるで市街地の中にある寺院を参拝しているような気になってきます。
さらに感動したことは、「掃除」についてです。どう考えても、ここまできれいな姿を維持するには、相当な時間(とお金)をかけて掃除し続けているとしか考えられません。世界遺産である金剛峯寺にしても他の寺院にしても、その一つ一つの建物が「自己主張」をするわけではなく、隅々まで掃除の行き届いた場所にひっそりと存在し続けていることに、とても不思議な感覚が湧き起ってきます。
まさに異次元の空間を堪能させていただいた一日でした。