「未来は常に開放系」

「未来は常に開放系」。


いい言葉だなと思います。社会人大学院で学んだ際に聞いた言葉だと思いますが、この言葉一つで授業料のもとはすべてとったなと思えるくらい、いや、授業料以上のものを得たなと思えるくらい、自分自身にとっては価値のある言葉だと感じています。


「未来は常に開放系」とは、文字通り、「未来は常に開かれており、決められた筋書は何もない」ということかと思いますが、私なりに解釈すると、以下のようになります。



自分自身、40代後半に入り、白髪も増え、少し食事を制限したり軽く運動したりするだけでは身体にこびりついた余分な脂肪が落ちにくくなってきました。老眼が入り、いよいよ「老化現象」と向き合わなければいけない世代に突入したようです。


体力の落ち込みを感じ、1日1日経過するごとに死の確立は高まっていく。その真実を、否定することはできません。つまり、「未来」を自分自身のことだけに当てはめてみると、「未来は常にどん詰まり系」に落ち着いていきます。


でも、「未来」は自分自身のためだけにあるのではありません。自分自身の身体は、小さな部屋でパソコンに向き合っているときでも、自分自身の精神は世界中を、または過去や未来を自由に飛び回っています。


それと同じように、「未来」を自分自身のことだけに捉えるのではなく、もっと多くの人、もっと大きな存在のためのものとして捉えれば、やっぱり「未来」は開かれているはずです。地球にも寿命はあると言われていますが、地球よりも大きな宇宙があるし、ひょっとしたら、宇宙よりも大きな存在があるかもしれない。


自分自身の精神が「未来」をそのように捉えるのであれば、自分自身に残された時間は、「常にどん詰まり系」というよりも、「常に開放系」というべきものに変わっていくのではないかと感じています。


つまり、自分のことばかり考えず、もっと視野を広げて「未来」に向き合うことができれば、「未来は常に開放されている」ということなのでしょう。


自分自身の残された時間を、「未来は常に開放系」をベースとして、生きていければと思います。