目的意識を持とう

代ゼミに通う浪人時代、地球物理学者の竹内均さんが講演をされたことがありました。インターネット環境が整備されている現在とは異なり、当時の「サテライト講義」は斬新な講義手法として注目されていました。そのときも、東京の教室での講演を、サテライトを通して神戸の代ゼミ会場で聞いていました。


竹内均さんの講演内容は、受験勉強のテクニカルな内容とは全く次元が異なりますので、任意参加のはずだったのですが、神戸の会場もほぼ満席でした。それまで、目的はともかく、とにかく「目標大学に合格する」ことだけを目当てに受験勉強をしていた私にとって、「目的意識を持とう」といった内容がとても新鮮で、まさに目から鱗でした。


もちろん、「目的意識を持とう」と自問自答してみても、そのようなことが習慣化させていなかった私にとって、すぐに答えが出るわけもなく、「大学に行ってから考えよう」と割り切ってしまうこととなりました。結局大学に入ったら、そのことを忘れてしまい、錨のない小舟のように、フラフラと波に流されるままに生きてきたような気がします。


「目的意識」とは、「行動の目的に対する明確な自覚」(デジタル大辞泉)という意味です。つまり、自覚を持つことが大切、ということなのでしょう。50年近く生きてくると、「本当にうまくいかないなあ」と思うことがどんどん蓄積されていきます。もちろん、与えられた環境によるものも多々ありますが、さすがに50年近く生きてくると、自分の生き方には自分で責任を持たないといけない、と思うようにもなります。


自分自身が取り組みたいことがあっても、すぐ目の前に困難な出来事が現れ、それを阻害しようとします。そして自分自身の気持ちも動揺し、やがてやる気をなくしていきます。だからこそ、もう一度立ち返ることができる場所を持ち、自分自身の目的意識を見つめ直すことが大切なのかもしれません。


これからシニア時代を経て、やがて高齢者時代に突入していく私にとって、「目的意識を持つ」ことは、ここからがますます重要になってくるのかもしれません。「人生百年時代」と言いますが、健康に留意し、なおかつ経済面に留意しつつも、どのような目的意識を持つべきか、持つことができるかを、もっともっと真剣に向き合いつつ、密度の濃い時間をここから過ごしていきたいと思います。


目的意識に裏付けられたライフワークを持ち、ライフワークを通した濃密な生き方がいつの間にかできているのであれば、それがきっと理想的な生き方なのでしょう。