星々の悲しみ

30年以上前になりますが、私が高校生だったときに民間企業による大学受験の模擬試験で、国語の現代文の問題に宮本輝氏の「星々の悲しみ」が採用されていました。

 

問題を解くために本文を初めて読んだとき、「いい小説だなあ」と感動してしまい、問題を解くことを忘れてしまうほどでした。

 

そのことを思い出し、最近久しぶりに「星々の悲しみ」を読んだのですが、あのときの純粋な感動を味わうことはできませんでした。何故なのでしょうか。

 

この作品では、大学受験生が喫茶店に飾られた絵画を盗み出し、また元に戻すという出来事を通して、繊細な心の動きが描かれています。今の私は、その繊細さが心の奥のほうに押しやられ、鈍感さを持って今を生きているように感じました。

 

心を繊細に動かす原動力として、この作品では異性に対する漠然とした憧れ、友人の死を知らされることに対する喪失感があるかと思います。まず異性に対する憧れですが、五十歳近いおじさんが(今でも「それは無い」と言えば嘘になりますが)「それ、わかる!わかる!」と盛り上がってしまうのはいろいろな意味で興醒めなことと言えるでしょう。

 

友人をはじめとする知人の死については、何歳になっても悲しい気持ちに変わりはありません。むしろ歳をとればとるほど体力だけでなく、忍耐力も弱まってきている気がしなくもありません。

 

そのようなことから、人生の後半戦を生きていくための知恵として、いつの間にか鈍感になっていることが多いように感じます。

 

だからこそ、いい意味で鈍感となりつつも、覚悟を持って残された時間を有意義に使っていきたいと思いました。