なくしたもの

先日、あるものをなくしてしまい、とても気になって夜中に探し回ったことがありました。正直なところ、あってもなくてもいいようなものだったのですが、気になって仕方がありません。

結局探し物を見つけることはできず、気だるさだけが残りました。「なぜ、なくしてしまったのだろう」「なぜ、あってもなくてもいいものを、こんなに気にしてしまったのだろう」と、いろいろ考えていると、また眠れなくなりました。


こうしたことが起こるのは、自分に対する副作用のような気がします。本当に大切なこと、避けてはいけないことは、いつも「狭き門」であるために、ついついそのことから目を背けたくなったり、違うことに取り組んで気を紛らわせたくなったりしてしまいます。


そうして、「逃げている自分」を自分でも気づいていますから、無意識に嫌悪感が高まっていき、このような瑣末なことが気になって仕方がなくなるのかもしれません。


なくしたものは、本当に大切なことから目を背けていた時間であり、その時間から得られたはずの経験でしょうか。これは、大変な損失ですね。本当に大切なものから目を背けずに取り組んでいるか、自分自身、大いに反省しなければいけません。。。