背骨が軋むほど

昨日、巨人対ソフトバンク戦のテレビ放送で、王さん、原さん、内川さんの三人が解説に揃った際、内川さんが王さんから掛けられた印象的な言葉を話されていた。

「バッティング練習をするときは背骨が軋むほど強く振り込まなければいけない。そうすることで、試合では八割程度の力で振り込めばよい。」

物心がついたときから王さんのファンだったが、王さんが監督になってからは采配面において疑問に感じることがしばしばあった。しかしながら、やっぱり王さんは偉大な野球人であるし、今でも偉大な存在であることを実感した。

「背骨が軋むほど」。いい言葉だと思いますが、普段からその通り練習に取り組んでこなければ出てこない言葉でもあると思います。

背骨が軋むほど、何かに取り組んでいるか。自問自答が続きます。

夏バテ

最近、何となく疲れが溜まってスッキリしない日が続いていました。

今日の暑さで気づいたのですが、ひょっとしたら夏バテかもしれません。一気に暑くなってきて、身体のほうが無意識のうちに反応していたのでしょうか。

今年の夏は例年よりも暑いようです。これから夏バテに気をつけていこうと思います。

秒読みでの地震

先日、成田山新勝寺名人戦の対局がありましたが、秒読みの最中、地震が発生しました。

インターネットテレビの画面も揺れていましたが、藤井聡太名人は盤面没我で、揺れが収まってから冷静に次の一手を指していました。

豊島九段も少し周りを確認してこのまま指し続けることを咄嗟にさとり、すぐ盤面に集中していました。

トップに立つ人たちの仕事の向き合い方を垣間見た気がします。

良き仕事との出会い

日常生活において何となく感じる物足りなさ。それは自分自身に責任があるのでしょうが、心のどこかで良き人との出会いを求めている節があると感じます。

でも、冷静に振り返ってみると、人との出会いには大きなストレス、プレッシャーがのしかかってきます。人そのものを受け止めようとすると、様々な葛藤が発生します。もちろん、そのような葛藤を含めて良き人との出会いを求める本能があるのかもしれませんが、年齢を積み重ねていくにつれて知恵がつき、他人との距離感を測ろうとするのも事実です。

最近気づいたのですが、そのような物足りなさを埋めるものとして良き仕事との出会いがあるのではないか、ということです。感動する曲や小説、映画に出会うと、とても良い気分になります。また、芸術作品だけでなく、例えばトイレを綺麗に掃除してくれる清掃員に出会ったりします。その人がどのような人物かはしれませんが、その仕事を通していつも以上にトイレが綺麗になっている。きっと雑な仕事をしても時給は変わらないのでしょうが、それでも熱心に掃除する人がいる。そのような良き仕事と出会ったときには、心の中で頭を下げて感謝する。そのような視点を持っていたいと思います。

綺麗事のリスク

最近、綺麗事のリスクが高まっているような気がします。

ダイバーシティや脱炭素、多文化共生等、あたかも心地よさそうな言葉が一人歩きをして、その風潮を悪用しようとする動きが高まってきているような気がします。

「いまどき、真剣に日本のことを考えている国会議員はいない」と現職のある国会議員が話したそうですが、もし本当にそれに近い状況が現実であるなら、綺麗事のリスクは想像以上なのかもしれません。

私個人はちっぽけな存在ですが、せめてそのような危機感は常に持っていたいと思います。