落ち目の人は…

「落ち目の人は、人に好かれる」

ジャック・ウェルチ氏の本の中にあった一文です。こういったさりげない一言に、多くの人に揉まれながらリーダーシップを発揮してビジネスを実践してきた人の重みがあるのかもしれません。


「落ち目の人」という言葉は、とても誤解されやすい言葉だと思いますので、自分自身に置き換えて考えてみようと思いました。ところが、果たして自分自身が「『落ち目』と言えるほど、今までに何かを成し遂げてきただろうか」と振り返ってみますと、残念ながら首を傾げざるを得ないので、一般的な話として考えてみます。

ここで言う「落ち目の人」とは、「ビジネスなどの世界で、過去に大きな何かを成し遂げてきたにもかかわらず、社内政治などの不運が重なり、現在は閑職に追いやられている人」と定義します。そのような人をジャック・ウェルチ氏は、経験上「人に好かれる」と言い切っています。それは、なぜなのでしょうか。


私なりに考えた理由としては、「哀れみを持って人に接することは、実は心地好いことなのではないか」ということです。「哀れみ」と「共感」の大きな違いは、「哀れみ」の感情の中に、無意識に「上から目線」が含まれているということだと思います。つまり、今まで対等かむしろ見上げなければいけなかったような人に対し、「上から目線」で接することができるという状況は、人の感情を心地好くさせる媚薬のような作用があるのではないでしょうか。

逆に言うと、他人から「上から目線」で何か言葉を投げかけられると、それを言った人が到底受け入れられる人でなければ、どのような言葉であれ、非常に居心地の悪い状況であるということなのかもしれません。


私自身、「上から目線」によって人間関係を台無しにしてきたことがあるかもしれない、と反省します。その反省を実行に移していくためには何をすればよいか、ということですが、大学院で教えていただいた言葉がすぐに反響してきます。

「下座の業」

「下座」の視点を持ち続けることで謙虚になり、人一倍多くのことを学ぶことができるということです。「上から目線」の攻防戦に明け暮れることなく、「下座」の視点を忘れることのないようにしていきたいと思います。