孤独の鉱脈

「私が起業した理由」などの延長になるのですが、私にとっては大切なことだと思いますので、最近感じていることを少し整理しておきたいと思います。


「鉱脈クラブ」というものがあるそうです。これは、どのような職業であったとしても、技術や精神を鍛錬し続けることで、ある領域に突き抜けた人だけが入会を許される秘密のクラブです。もちろんこれは「例え話」でして、実際に存在する秘密結社(秘密なので本当に存在するのかどうかはわかりませんが…)のように、具体的な会合や登録制度があるわけではありません。

どのような分野であったとしても、一流のプロフェッショナルになってくると、その精神性や考え方などにおいて、不思議な一致を見せ始めるそうです。そのため、それまで全く面識がなかったにもかかわらず、一流のプロ同士が初めて会うと、まるで昔からの親友に出会ったかのような錯覚を覚えることがあるそうです。そのような状態のことを、「鉱脈クラブ」と呼んでいるのかもしれません。


なぜ、一流のプロ同士は、そのような「不思議な一致」が見られるのでしょうか。もちろん私は一流のプロではありませんので、実際のところがわからず、あくまでも予測に過ぎないのですが、一人ひとりが「孤独を深める作業」に邁進しているからこそ起こる現象なのではないかと思います。

私たちが遭遇する表面的なこと、表に現れてくることは、いつも玉虫色をしていて、なかなか捉えどころがありません。しかし、その反面、「共感」といった言葉があるように、私たちが深く感じること、感動することなどにおいては、不思議な一致があることも事実だと思います。


あくまでも私のイメージでしかないのですが、私たちは「色」に似た特性を備えているのかもしれません。「三原色」によってさまざまな色が作り出されてきたように、または、さまざまな色のもとを辿っていくと「三原色」が見出されたように、私たちも「三原色のような何か」から出発し、そこからさまざまな新しいものが生み出され、その結果として、玉虫色の現実が目の前に存在しているのかもしれません。あるいは、玉虫色の現実のもとを辿っていくと、「三原色のような何か」を見出すことができるのかもしれません。

だからこそ、一流のプロフェッショナルのように、何らかの「道を究める」ということは、今までにない新しい領域、新しい現実を生み出していくため、もともと私たちの出発点だった「三原色のような何か」を探り出すべく、自分の心の中を深く深く掘り下げる作業をすることにその本質があるのかもしれません。


そして、そのことは、何も一流のプロフェショナルだけに必要なことではないように思います。目の前の現実に孤独を感じ、身動きがとれなくなってしまったら、自分の心を深く深く掘り下げていく。そうして、より多くの人と共通する領域に到達することができれば、知らないうちに孤独感が癒されていく、というようなことも起こり得るのではないでしょうか。もちろん、私が想像することもできないような深い孤独、激しい孤独といったものがあるかと思いますので、未熟な今の私の仮説にしか過ぎませんが。。。


何か「変なこと」を言ってしまっているようなので、このあたりで閉じたいと思います。
失礼しました。