触れるものと育てるもの

「タッチ・オブ・グローリー」という言葉があるそうです。昨年のワールドシリーズにおいて、当時ヤンキースの選手だった松井秀喜選手がMVPに選ばれたとき、まさに松井選手は「栄光にタッチした瞬間」を味わったはずです。

「栄光とは、タッチするもの、触れるものであって、決して持ち続けることはできない」という箴言は、スポーツ選手を見ていて実感することができます。松井選手にしても、今年エンジェルスに移籍してさらなる努力を続けているにもかかわらず、去年ほどの「栄光」にタッチしているわけではないようです。そうなると、なんだか人生がとても空しく感じてしまいます。


では、どうして空しく感じてしまうのでしょうか。自分なりに考えて、それは「触れるもの」ばかりに目がいっているからだと思いました。「栄光」や「夢」など、それを掴み取った「劇的な瞬間」ばかりに目がいってしまうため、その瞬間のあまりの短さに、空しさが込み上げてくるのかもしれません。


松井選手は今、空しい気持ちを持ち続けているのでしょうか。本人に聞いてみないとわからないことですが、私はそうではないと思います。それは、松井選手のような「一流のプロ」ともなると、「育てるもの」に自然と意識を集中させていると思うからです。野球選手であれば、「もっともっと野球がうなくなりたい」と思い、そのことを実現させるために「育てるもの」に意識を集中させ、日々練習を積み重ねていくことに、自分自身納得できる日々を過ごされているのではないかと(勝手に)想像します。


私自身、どうしても「劇的」な「触れるもの」に目を向けがちですが、日々を充実させていくために、「育てるもの」に、「育てる瞬間」に、もっともっと意識を集中させ、その中にこそ喜びを見出していきたいと思います。