富士山

先日、新幹線の車窓から富士山を見ました。

私が大学受験で上京した当時、「富士山寄りの窓側に座り、富士山を見ることができれば、志望大学に合格する」というようなジンクスがありました。私はそのとき、富士山寄りの窓側に座ることができたのかどうか覚えていませんが、確かその日は曇りだったように記憶しています。そして、富士山の全貌を見ることはできなかったのですが、「裾野だけでも見ることができたから、よしとしよう!」と思っていたように記憶しています。

大学受験で富士山を見たときまでの時間の長さと、そのときから先日富士山を見たときまでの時間の長さが、いつの間にか逆転していることに気づきました。でも、どちらが長く感じるかというと、やっぱり大学受験で富士山を見たときまでの時間のほうが、より遠くの過去にある分、長いように感じます。


ある80代の人が、「過去に戻りたいとは思わない。未熟だった自分を、もう一度やり直さなければいけないから」とおっしゃっていました。確かに、「あのことだけはやり直しておきたい」とか、「あの人ともう一度会っておきたい」というようなことは、挙げればきりがありませんが、やっぱり過去の自分を未熟だと感じるのも事実のようです。


もちろん、将来の自分からすると、今の自分も随分と未熟なのでしょう。でも、だからこそ楽しみがあるような気がします。先日も富士山は裾野しか見えなかったのですが、「裾野だけでも見ることができたから、よしとしよう!」