精神年齢

身体年齢は、自分自分の成熟度に関係なく、「年相応」の外見になっていくようです。40歳ともなると、髪の毛に白髪が混じるようになりますし、おなかの出っ張りが気になります。


でも、精神年齢は、自然現象で「年相応」にはなってくれないようです。もちろん、年齢を重ねるとそれなりの経験は積むことができますから、精神年齢も徐々に成熟していくのかもしれませんが、身体年齢ほど劇的には変化しないようです。


自分自身、30歳になったばかりのとき、「40歳の自分はどうなっているだろうか、もっともっと人間的にも成熟し、あるべき大人になれているだろうか」と想像したものです。実際に40歳になってみると、残念ながら猛省しなければいけないくらい、精神年齢は未熟なままだと実感します。少し落ち込むことがあると、それをずっと引きずってしまったりしています。


「精神的に参ってしまったときは、場合によっては今日一日、徹底的に落ち込んでみることが大切です。そして明日は、徹底的に前向きに取り組むことを自分に約束することが大切です」という言葉を以前教えていただいたことがあります。だから、「今日一日は、徹底的に落ち込んでみよう」と思うものの、精神的に脆いところがあり、その気持ちが翌日、またその翌日と引きずってしまうことがあります。


一言で言うと、まだまだ精神的に成熟していないということなのでしょう。これはなんとかしないといけない。残念ながら身体年齢は、頼んでもいないのに、徐々に「年相応」の外見になっていきます。でも、精神年齢は、身体年齢との隔離が大きくなればなるほど「みっともない」と思われてしまうくらい、頼んでみても簡単には「年相応」になってくれません。あるいは、精神年齢は、子どもから老人までの自分をすでに自分自身の中に持っていて、それをその時々で発露してしまっているのでしょうか。


いずれにしましても、もっともっと精神的に成熟していかなければなりません。頼んでも簡単には成長してくれない以上、意識的に毎日鍛錬する必要がありそうですね。