神社やお寺に参拝したときは、おみくじを引きたくなってしまいます。おみくじの結果にあまり一喜一憂することはなかったとしても、やっぱり自分の「将来」が気になっているため、ついついおみくじを買っていることがあります。
最近おみくじを買ってふと思ったのですが、人類の遺産とも言える碩学の言葉がおみくじに書いてあったらおもしろいのではないでしょうか。孔子や孟子をはじめ、いろいろな教えの言葉がおみくじに書いてあると、「今日は何を教えてもらえるのだろうか」と今まで以上に購入してしまう気がします。また、おみくじに書いてあった言葉がきっかけとなり、論語や孟子など、「今まで読んでこなかった古典を、一つ読んでみようかな」ということにもつながっていくのではないでしょうか。
おみくじが、人類の遺産である古典を、今を生きる私たちに結びつける働きをするわけです。古典の教えがいくつかしたためられていれば、もっともっとおみくじを「ありがたいもの」として受け止めるようになっていくのではないかと思います。
私自身、そのように思ったのは、最近引いたおみくじに書いてあった言葉が「面白いなあ」と思ったからでした。
「僥倖を求めてはいけない。未来は、あなたが今を生きるその程度によって、自然に成就していくものである」
具体的な言い回しは忘れましたが、要約すれば、このような内容であったと思います。確かにおみくじを引く私自身の心のどこかに、僥倖を求める弱い部分があるわけで、そのことを素直に反省しました。と同時に、「未来は自然成就するもの」という、おみくじでありながらおみくじの役割を放棄していると言いますか、超越しているような言葉が面白いなあと感じました。
未来は、「自然成就」していくものなのかもしれません。つまり、「今」こそすべてであり、「今」をどのように生きていくかがすべてであることを、そっと諭してくれたおみくじだったようです。