「−」の重み

「ある人物のことを紹介するとき、『18○○−19○○』というように、生まれた年と亡くなった年を記載することで、その概略を表現します。本当は『−』の部分がとても重要であるはずなのに、重要な部分は『−』の一文字で済まされてしまいがちです」


このようなことが書いてあった本がありました。とても示唆に富んでいるなあと思いました。

その人の生まれた年と亡くなった年を見ることによって、その人が生きた時代が明らかになります。誰でも生きた時代の影響は避けられないでしょうから、その人の一生をイメージするにあたり、やっぱり「生まれた年」と「亡くなった年」の情報は、とても重要なものであるように思います。

一方、その人が「どのように生きてきたか」という肝心な部分ですが、「−」だけではとても表現しきれないという側面と、(どんなにたくさんの偉業を残してきた人物であったとしても)生きた時間はまさに「−」の一文字のように一瞬であるという側面の、両方の異なる見方があるように思います。


まさに私自身も、「−」だけでは表現できないくらい、さまざまな思いを抱えて生きているつもりですが、一方では「−」と表現されてしまうくらい、「儚い一時」を生かしていただいているのかもしれません。

「儚い一時」にしっかり思いを込めて、悔いのないように駆け抜けていきたいと思います。