謙譲ネタ

私自身の学生時代にとてもフィットする話題が、最近の動画(テレビ、動画サイト)でいくつか目にすることができました。

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1.「日本人で不思議だなあと思うのは、『学生時代はずっとマージャンをしてました』って自慢する人が結構いるんですよ。それって、恥ずかしいことだと思うのに」

2.「偏差値がどん底な状態から、駆け込みで受験勉強に目覚めて一気に偏差値を上げ、有名大学に入ったことを自慢する傾向がある」

3.「文学部と経済学部って趣味みたいなものじゃないですか」
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私自身、1.と2.を自慢する気持ちは全くないのですが、「謙譲語」と同じようなニュアンスで、(さすがに社会人になってからのことは仕事に直接影響がありそうなので)学生時代の自分自身を低く話すことによって相手を敬おうとする「謙譲ネタ」ともいうべき話題を持ち出したことはありました。自慢するかどうかは別として、1.から3.まで、すべて自分自身が辿ってきた道です。

特に1.と2.がどうして問題かというと、(あくまで私の場合)「私には一般教養が不足しています」「リベラルアーツが抜けてるよ〜」と白状しているようなものだからです。実際に私は、恥ずかしながらつい最近まで政治の基本的なことも知らなかったので、超基本的な解説本を買ってこっそり勉強しているような状況でした。経済に関しても、経済学部出身であるにも関わらず、全くと言っていいほど勉強してこなかったので、仕事に差し障りのない程度に、こちらも超基本的な解説本を買って地道に勉強していた状態でした。さらにタチの悪いことに、「一般教養」「リベラルアーツ」に対するもどかしさは、日に日に増してくるように感じます。

3.の話がおもしろいなあと思ったのは、(文学部はよくわからないので)経済学部で言うと、「経済」というものを自分自身の中に取り入れて懸命に仕事に打ち込んだり、懸命に評論したりする場合には、「経済」を勉強することに非常に価値があると思うのですが、「経済」を多少たしなんだ程度で、しかも自分自身から距離を置いてその様子を眺めることは、確かに苦痛が伴わない「趣味」として、非常に面白いかもしれない、と思うからです。

本来「経済」は、誰でも何らかのカタチで関わっていかなければいけないものですので、「当事者意識」にもっともっとスポットが当たるようになっていけば、「とても役に立つ学問」と思われるようになっていくのかもしれません。


今思えば、大学時代が一番親に学費負担を強いていたのに、自分自身は何をやっていたのかと本当に情けなくなってきます。後悔しても何も始まらないので、そのことを素直に反省し、その反省を「今」に思いっきりぶつけていきたいと思います。