受け止めるということ

人と人が言い争っているとき、自分自身は「第三者」の立場として横から見ているうちは、比較的冷静に話を聞くことができます。途中でそれぞれの感情が高まってきたら、「まあまあ」となだめるくらいの余裕があります。

ところが、言い争いの矛先が突然自分自身に向けられてしまったら、冷静な心、冷静な感情を保ち続けることはできるでしょうか。それまでは心に余裕があったのに、矛先が自分に向けられた瞬間、冷静な心であり続けることは難しいように感じます。

誰かが誰かのために、何らかのことを批判しているうちは、冷静にその話を聞くことができます。ところが、批判の矛先が自分自身に向けられたら、その意見を冷静に聞くゆとりが自分自身にはどれくらいあるだろうかと反省します。


さまざまなマイナス志向の言葉や態度が、直接的であれ間接的であれ、自分自身に向けられると、その人を嫌いになるだけでなく、その人の存在全てを否定したくなってしまいます。あるいは、「なんとなく、あの人のことは好かないなあ」と感じてしまうことがあるのは、なぜなのでしょうか。

異質なものを避けようとする本能みたいなものなのでしょうか。確かにそのような場面に遭遇したら、決して心地よいものではありませんが、相手の存在全てを否定してしまっては、せっかくの学ぶ機会も失ってしまいます。


もちろん、闘うべきときは闘わなければいけないとは思いますが、「受け止める」という心の容量を、少しずつでも増やしていきたいと思います。