善と悪の強力性

最近読んだ記事に、おもしろいことが書いてありました。


「善は儚くてか弱く、悪は明確で力強いことが多い」


おそらくこの内容は、「あの人は善で、この人は悪」というようなレッテルを貼るためのものではなく、自分自身の中に「善」と「悪」が内包されていて、得てして「善」はか弱く、「悪」は力強い傾向にある、ということなのでしょうね。「極悪」とか「悪党」という言葉があるにもかかわらず、「極善」とか「善党」という言葉がないのは、このことに起因しているようです。


自分自身の中の何が「善」で何が「悪」かを判断することは難しいし、明確に二つに区切ることはできかねる部分も多々あると思いますが、肝腎なことはこのような視点を一つ持ち、自分自身を修めていくことにあると思います。


自分の中の力強い「悪」に流されることなく、「善」の力を高めていけるよう、日々修行を続けていく必要がありますね。