志を得る

「君子はその志を得るを楽しみ、小人はその事を得るを楽しむ」


六韜(りくとう)」という古典に、このような言葉があるそうです。立派な人は「志を得る」こと自体を楽しみ、取るに足りない人は「事を得る」こと自体を楽しむ。


今の私は、やっぱり「小人」かなあと思います。何らかの欠乏感、渇望感があることは否定できません。しかしながら、だからこそ余計に、「志を得る」ことを大切にしていきたいと思います。


「君子」か「小人」かという区別は、それほど重要な意味はないと思います。それよりも、自分自身が悔いのない生き方をしていくためには、「事を得る」ことを重視するよりも、「志を得る」ことを重視するほうが、実はその近道であるということが重要なことではないかと思います。つまり、「志を得る」ことを求めていくことが、悔いのない生き方をしていくための「王道」だということでしょうか。


最近、「志」という言葉をいろいろなところでよく目にします。私自身、つい最近まで「志」というものとは無縁でした。だからこそ、その反動で、余計に今はそのことを意識しているのかもしれません。


アメリカでは、「自分自身の『成功』を定義しなさい」という教育をしているそうです。日本においては、「自分自身の『志』を定義しなさい」という教育をしたら、面白いかもしれないですね。