スポーツ観戦を通した疑似体験

スポーツ観戦していると、選手と同じ経験をしているかのような錯覚に陥ることがあります。

今回、女子レスリングの吉田選手は4連覇を果たすことができませんでした。ずっと連勝してきたため、多くの選手から目標とされ、研究され尽され、いつか負ける日が来るのではないかという恐怖と戦いながら、練習に励んできました。

誰よりも練習してきたはずなのに、オリンピックの決勝戦という、これ以上ない大舞台で敗戦してしまう。知らず知らず吉田選手の立場を思うと、その現実を受け入れ難くなり、だんだんと息苦しくなってきました。

「自分自身が背負うことのできる以上の荷物を、背負ってはいけない」

このような生き方の鉄則があるそうですが、こんな重荷を背負わざるを得ないのは、やはり吉田選手だからこそなのでしょう。私には重すぎて、ただ疑似体験しているだけなのに、息苦しくなりすぎて、朝から何度もため息と深呼吸をしていました。そして、この結果からいつまでも目を背けていたくなります。

「現実は、あまりにも悲しいことに満ち溢れていることから、フィクションの物語に救いを求めることがある」

そのような話を聞いたことがありますが、今回の結果を疑似体験した自分自身は、救いを求めるため、知らず知らず未来の物語を思い描いていました。

今回の敗戦は、きっと何かの知らせではないか。もしかしたら、2020年、「ピークは過ぎている」「無謀」「若い世代に譲るべき」「自分勝手」等と批判を受けながらも、満身創痍の吉田選手が東京オリンピックの舞台に立ち、自分自身のために、戦う姿がある。

このような物語を描くことでしか、かろうじて今回の結果を受け止めることができそうにありません。