「つまらない大人」

「ひとかどの人物」という言葉があります。英語でいうと、「somebody」。逆に、英語で「nobody」は、「つまらない人」という意味もあるそうです。


「つまらない大人にはなりたくない」というヒットソングの歌詞もあり、私自身、学生のときは、まさに「つまらない大人にはなりたくない」と思っていました。


確かに、今の自分自身は、私が学生時代に思っていた「つまらない大人」のど真ん中をいっています。しかしながら、「つまらない大人」の定義が、学生のときと今とでは、ずいぶんと変わってきています。


私が学生のときに思っていた「つまらない大人」とは、誰からも注目されず、知名度がないために小さな世界で生きていかなければならない大人のことを指していました。一方で、今の自分自身が思う「つまらない大人」とは、自分の意見を持っていないか、仮に持っていても大勢に流されてしまう大人、あるいは、信念を持って生きていない大人を指します。


つまり、学生だったときの私が定義していた「つまらない大人」とは、他人がどう評価するかが判断基準にあったのですが、現在の私が定義する「つまらない大人」は、自分自身が何を思って生きているかを判断基準としています。


言い方を変えれば、学生時代の私は「他力本願」志向であったのに対し、今の私は「自力本願」志向と言えるのかもしれません。


他人からどのように評価されるかは、時の運があるかもしれません。でも、「自分自身がどのような信念を持って生きているか」は、今すぐに始められることです。もちろん、その人の持つ「信念」そのものがつまらないものであれば、やっぱり「つまらない大人」と思ってしまうでしょうが、魅力的な「信念」を持ち、その信念に沿って生き続けることができる人は、有名だろうが無名だろうが、やっぱり魅力的な大人と感じるでしょう。


…そのことを踏まえ、「偉そうに言ったけど、果たして自分自身は、本当に信念を持って生きているのだろうか」と内省しつつ、仕事にも取り組んでいきたいと思います。