決めることと裁くこと

私自身が起業してすぐ、事務用品は何を買うか、電話はどうするか、パソコンはどうするかなど、本当に細かい一つ一つを自分で決めなければ何も進まないことを実感したことがありました。そのため、それまでどれほど会社の人や上司などに依存して仕事してきたか、生きてきたかを強烈に思い知らされたことがあります。


そのようなこともあり、起業してからは「何でも自分で決めて生きていかなければならない」と覚悟を持った記憶があります。しかしながら、最近反省することとして、「決める」ことと「裁く」ことを混同してしまっていることが多々あるのではないだろうか、ということです。


確かに、自分で「決める」ことを、日々実行しています。それが自分の望みではなく、自分の弱さから出てくるものであったとしても、自分の責任において、行動しています。だけど、「決める」ということは、「白黒はっきりさせる」ということではないということを、最近特に実感します。


「決める」には、「そっとしておく」とか、「注目し続ける」とか、「保留しておく」とか、「白と黒」の決着をつけるような種類のものではなく、よりよく仕事をしていくために、よりよく生きていくために、無限の選択肢の中からいくつも選んでそぎ落としていったり、あるいは一つの選択肢を選んで徐々に選択肢を追加していったりしながら、柔軟に仕事していく、柔軟に生きていくことであると思います。


一方、「裁く」には、視点を「裁判官」の位置に置き、「白と黒」のどちらかにできるだけはっきりさせる、というニュアンスがあると思います。

そして、最近の私自身が、「決める」ことを「裁く」ことと混同し、いろいろなことを「決めている」ような気がします。それは、私自身、「白か黒か、はっきりさせたい」という気持ちの中に、あいまいにしておくことの容量の深さ、器の大きさが、まだまだ足りないことを無意識に感じ取っているからかもしれません。


仕事においては、「白か黒か」をはっきり決められることはほとんどありません。そのほとんどは、「正解はない、それでも何かを決めていかなければならない」という事態の連続です。

自分の弱さに流されることなく、「裁判官」の視点から「裁く」ことなく、謙虚に、前向きに、毎日取り組んでいきたいと思います。