「混沌」

昨夜、羽生名人がテレビに出ていました。昨夜もいろいろと引き込まれるお話を語っていらっしゃいました。特に「混沌」という言葉。


「将棋の対局では、過去の棋譜どおりに展開することがしばしばあります。そのようなときは、『オリジナリティの高い一手』がよい指し手であることは少ないようです。一方、たまに『混沌』とした局面を迎えることがあります。このときは、どの一手を指すにしても、オリジナリティの高い一手となります。そして、そのときこそ『自分らしさ』を発揮する最大の見せ場となるようです」


「混沌」という言葉から、ある言葉を連想しました。それは、「順境と逆境」。他人から見れば、「あの人は調子がよい=順境」「あの人はもう終わったな=逆境」と捉える見方があるのかもしれません。でも、自分自身の過去40年間を振り返ってみると、どのような時期であっても、自分の心の中では、いつも「混沌」としていました。

それは、他人との比較で捉えられるものではありません。自分自身のあらゆる過去との比較論で言えば、「ひょっとしたら『あのとき』は、調子のよい時期だったのかもしれない」と考えることはできなくもありません。でも、冷静に自分自身の心の中をのぞいてみると、そのようなときでも、いろいろなことに悩んだり悔やんだりしていました。

また、「ひょっとしたら、今は逆境のときかもしれないな」と思わなくもありません。でも、苦しいことばかりではありません。逆に、冷静に自分自身の心の中をのぞいてみると、「逆境」と想定している状況を結構楽しんでしまっていることがしばしばあります。


本当は、いつも「混沌」としているのかもしれません。そして、羽生名人のおっしゃるように、ほとんどの時期においては、「生き方の定跡」に則って行動していくべきなのでしょう。でも、「ここぞ!」という「混沌」とした状況に遭遇したら、それこそ「自分らしさ」を発揮するチャンスと捉え直すべきなのかもしれません。

そして、そのチャンスとは、他人から見放されやすい「逆境」と想定される時期にあるような気がします。


今を「逆境」と想定するなら、まさに「自分らしさ」を発揮する「人生の見せ場」にさしかかっているということでしょうか。