「修身」の本

先日、書店で「修身」の本を見つけました。「日本の教育において、戦前の優れた科目がGHQによって奪われたものがある。それは今も再開されず、日本人の精神的強靭さを奪い続けている。それが、『修身』だ」


このような論調をいろいろな場面で目撃するにつれ、「修身」の授業でどのようなことを教えていたのかずっと気になっていました。「修身」によって当時の若者を潔く戦場に向かわせてしまったという批判もあるようですが、それでもそういった一部分を拭い去れば、非常に優れた科目であったようです。


先日、書店で「修身」の優れた講義録を収めたとされる本を目撃しました。購入しようかどうか迷ったのですが、結構分厚い本だったこともあり、「まあ、慌てて買う必要もないだろう」という気持ちになって書店をあとにしました。


でも、その後もその本が気になり、その本の売れ行きにも興味が湧いてきたので、数日後にまた同じ書店に行ってみました。するとどうでしょう。本棚に並べられたその本は、あと一冊になっていました。もちろん、実際には在庫があるのかもしれませんが、同じような啓蒙書が並んでいる中で、その本だけが特に少なくなっていたのは間違いなさそうでした。


早速その本を購入し、少し読んでみました。やっぱりおもしろい。そして、思いました。「自分は『修身』の授業を受けたことがある!」


そう確信を持って思えることは、ありがたいことですね。その本にも書いてありましたが、すでに40歳になった私は、日々の修練を継続しつつ、仕事を通した社会貢献を実行する時期に差し掛かっているようです。それまでの修練如何によって、その人の貢献の大小は決まってくるようですが、大切なことは「今」にあると思います。


私自身の今までの修練は決して褒められたものではありませんが、「一隅を照らす」という言葉もあるように、大小が問題ではないと思います。大きさ如何にかかわらず、目の前の職責を把握し、その意義を見出し、潔く実行していくことが大切なのでしょうね。逆に言うと、「実行することは難しい」のですが、さらに逆を言うと、「難しいからこそおもしろい!」というのもまた本当のところなのだろうなあと思いました。