読書の感情

読書をしていて、その内容にのめりこんでいるときと、内容に拒否反応を示しているときがあります。そのときの状況を振り返ってみると、のめりこんでいるときは、自分なりに多くのことを吸収し、充実した時間を過ごしていると思います。ところが、拒否反応を示しているときは、時間だけ無駄に費やして、ほとんど何も吸収していないように思います。

その原因として、本の内容云々ということ以上に、私自身の「感情」が大きな影響を与えているのではないだろうかと思いました。

本を読んでいると、「それは違う!」とか、「何でそんなに上から目線で言えるんや!」とか、いつの間にか、ついついイライラしていることがあります。そのように感情的になってしまうのは、その内容に徐々にイライラしてくる、というよりも、実はその本を読む前から少しイライラしていて、そのためにちょっとしたことで無駄に過剰な反応をしてしまっている、ということが、私の本当の姿に近いのではないだろうかと思います。


以前、時間を持て余していた私は、ある物語を書き、懸賞に応募しました。そして、その選考委員の方から、電話をいただきました。

「これって作文みたいなもので、人に見せるものではないよね」

大変残念な評価でしたが、でもこんな厳しい意見を(無視すればいいだけなのに)わざわざ言っていただいたことに対して、深く感謝しています。それは、書くことに対する見方だけでなく、読書に対する見方も教えていただけたと思うからです。


どんなものでも、書籍に仕上げていくためには、きっと多くの能力と労力が必要であろうと思います。そのことに対して、まずは読む前に敬意を表する気持ちが、最近の私には欠けていたと思います。

敬意を表する気持ちがあれば、仮に自分には受け入れがたい内容のことが書いてあったとしても、「自分が吸収すべきことは何だろうか」という前向きな感情で、必要な箇所を求めて、スラスラとページをめくっていけると思います。そうすれば、結果として、無駄な感情や時間を費やすことなく、有意義な読書ができるのではないだろうかと思います。


それは、読書に限ったことではないと思います。うまくいかないことが続くと、ついついイライラしてしまいがちですが、何かに取り組む前には、もっともっと謙虚な気持ちを大切にしていきたいと思います。