「修身」の授業内容

終戦までの「修身」という授業でどのようなことが教えられていたのか、最近非常に知りたいと思っていたのですが、先日たまたま森信三さんが「修身」の授業で教えていたことをコンパクトに編集した本を見つけましたので、早速購入して読んでみました。


「ああ、このようなことを、もっともっと若いうちから学んでいたら」と思いました。また、今の自分自身を非常に反省させられました。例えば、「事の本質を見失うべからず」という内容の授業で、次のように語られています。

「自分自身が成すべき目の前の仕事をなおざりにして、他の方面に力を注いでしまうと、仮にそうした方面が根本的なことで、またその努力がいかに大きなものであったとしても、このような人は、いつかは世間からその足場を失い、せっかくの才能を持っていたとしても、それを発揮する機会を得ずに、空しく朽ち果ててしまうのが世の常です」


ああ、痛い、今の私には、非常に痛いお言葉です。「目の前の仕事」を脇に置いて、ついつい読書に励んでいることがあり、「自分のための読書をしているのだから、別に構わないだろう」と言い訳をしている自分自身を、見透かされてしまったかのようなお言葉です。そして、「今の自分を続けていたら、世の中から足場を失って朽ち果てていく」と警告していただいています。もちろん読書の大切さも書いてあるのですが、「本末転倒してはいけない」ということでしょうか。


同じ本には、「四十までは修行時代」というお言葉がありました。「四十までは地に潜んで、自己を磨くことに専念することが大切です」と書いてありました。今の時代に翻訳するとすれば、「人生、そのほとんどが修行時代」ということでしょうか。仕事においては、「目の前の課題」に取り組むことで、その商品やサービスを一生懸命広告宣伝することはあったとしても、自分自身は常に「修行時代」と心得え、自己を磨いていくが大切だということでしょうか。


すでに四十間近の私ですが、「修身」に「遅すぎる」ということはないと思います。これからしっかり「本業」を見失うことなく、「修身」に励んでいきたいです。